2019年 6月 の投稿一覧

雨の大原

先日(6月21日)、京都は大原へ、元祖聖応大師良忍上人様のお墓参りに寄せていただきました。
御廟があるのは、三千院の横を少し上った来迎院。本堂の横を過ぎて石畳を行くと、三重の石積みの御廟が杉木立の中にひっそりと佇んでいます。

時刻は午後三時を回ったあたり、布教師会の皆さんと手を合わせていますと、近くで雷鳴が聞こえてきました。
空は今にも大粒の雨が落ちてきそうです。
「そういえば、今朝の天気予報で山沿いでにわか雨が降るとか言っていたような…」
案の定、お墓参りを済ませ、来迎院の本堂でお勤めをしている最中に、とうとう降り出して来ました。
激しい降りの為に外に出ることもできず、薄暗くなった本堂の中から外を眺めていると、近くの山の斜面に霧が立ち込め、騒々しいはずの雷や雨音までが、森閑とした景色に溶け込んで、あたかも神仙の世界が広がっているような錯覚を覚えました。

「確かにここには仏様がいらっしゃる。」

不思議な霊気のようなものの存在がありました。
九百年の昔、良忍御上人がこの地に移り修行に励まれたのも分かる気がいたします。
残念ながら今の私は、深山幽谷の地に独り住まいするなどということはできません。どうしても人恋しくなってしまうだろうからです。

「修行が足らない!」
そう言われてしまえばお終いですが、それでもたまにこの様な体験をするのは、世塵に汚れた自分の心を洗い清める良い機会。

激しい雨音に、滝に打たれる己の心を観ていました。

何故か…ゴジラ

今、私はお盆のお参りに必要な、経木塔婆を書いています。
これは、お盆にお参りに寄せていただく家々のご先祖様の戒名をお塔婆に記し、お仏壇に祀っていただくのですが、枚数が千枚近くになるのです。

大変です。
聞くところによりますと、昔から経木塔婆を書かない土地もあるようで、羨ましい限りです。
数が多いので、もちろん一気に書き上げることは不可能で、何日にも分けて書いていきます。
というのも、腰と肩と眼に負担がかかり、とりわけ老眼が進んでからというもの疲れ方が半端ありません。
そしてこれを書いていますと、細かい木くずが出ます。机の上を汚したくないので、いつも古新聞を机上にひいて、その上で書いていきます。
何日も何日も同じ古新聞を広げて書いていますと、頭の中に新聞紙の記事が刷り込まれていきます。今年の古新聞は、一面ハリウッド版ゴジラの映画広告。

…ゴジラ!

「ちょっと映画を見に行ってきます。」
家内にそう告げて向かった先は映画館。
何十年ぶりかのゴジラを見てきました。…この歳で。
それでも、映画館の大画面で見るゴジラは迫力がありました。荒唐無稽なストーリーではありますが、まあ怪獣映画というものはそもそもこれが当たり前なので、むしろ娯楽映画としては十分に楽しめました。
嬉しかったのは、あの渡辺謙が芹沢博士役(一番最初のゴジラで、オキシゲンデストロイヤーなる秘密兵器でゴジラを葬った科学者)で出演しており、しかも彼だけは「GODZILLA」と発音せずに「ゴジラ」と日本語で呼んでいるところが、日本人としてのゴジラへの思いが込められていて、共感を覚えました。
こんなことを書いていると、オタクと間違われるかも知れませんが、あくまで普通のオジサンです。

それはさて置き、この様な娯楽映画でも勉強になることがあります。
それは、ストーリー展開の上手さ。観客を飽きさせず、ストーリーの中に引きずり込むテクニックというものは、私たち布教師にとっても原稿の構成や、話術に参考になるところがあります。
そんな意味では、布教師というものは、どんなところにも観察眼を向けているものなのですね。
出演者の表情や言葉、細かい演技に至るまで、その人物の心の中をついつい覗こうとしている自分がいます。
長い間に身についた習性なのでしょうか。

それにしても、恐るべし、新聞広告!
…と、言うところで、塔婆書きに戻ります。
またしても取り留めのない「つぶやき」になってしまいました。すみません!

晋山式と亀鐘

時間がないので、急ぎの「つぶやき」です。

今月18日午前10時から本山大念仏寺で、新しい管長様の就任式(晋山式)が行われます。
昨年、前管長の倍巌良舜猊下が遷化され、慌しい中で今年の1月に新管長の吉村暲英猊下が選出されました。
その後、色々な行事が重なり、今月にようやく就任式が執り行われることとなったのです。

ここで大切な事が行われます。
融通念佛宗の宝物である「亀鐘」を新管長が打ち鳴らされるのです。わずか数打ではあるのですが、この亀鐘が鳴らされるのは、新管長の晋山式だけなのです。 

ここで「亀鐘」なるものですが、今から九百年ほど前に造られたものなのです。鳥羽上皇がご開山聖応大師に帰依され、自らの姿を映すために使われていた鏡を鋳潰して、鐘に造り替えて下賜されました。

初めは「鏡鐘」と呼ばれていたのですが、中祖法明上人の時代から「亀鐘」と呼ばれるようになり現在に至っています。その辺のいきさつは、また別の機会にお話しすることと致しまして、滅多に聴くことのできない九百年前の音色を聴くことが出来るチャンスであることはお解りいただけると思います。

当日は、他の宗派のお客様を含む大勢の方が本山に来られ、大変な状況になると思いますが、境内の中ではスピーカーを通して聴くことができると思います。
ちょっと興味のある方は境内の中で耳を凝らしてみられては如何?

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