暑い日が続いております。
先ほどまで車のディスプレイに表示された外気温は38度。
見ているだけでも頭がクラクラしてきます。
お寺に戻り、テレビをつけるとオリンピックがこれまた熱い戦いを中継しております。
そうしてまもなく僧侶の私には暑い熱いお盆がやってまいります。
年々歳を重ねるたびに「今年の夏は越せるのだろうか?」という思いが大きくなってきました。
一昨年、師匠である父が亡くなり、今年は母親もお浄土へと旅立ちました。
両親の姿を思い起こすことが増えるたび、師匠である父が80歳を越してなおお盆のお参りに汗かきながら歩いていた姿が眼に浮かんできます。
歳老いてなお厳しい日差しの中を黙々と歩き、一軒一軒お勤めをしてゆく姿は、ただただ頭が下がります。
お互いに反対方向に向かってお参りを始め、村の中の何処かで顔を合わせればそれでお終い。
長い直線通りの向こうからニコニコしながら歩いてくる父の顔を見るたび、「この暑い中、何がそんなに嬉しいのだろう?」・・・そんなことを思いながらお参りを終えていたのが、最近になってその意味がやっと分かってきました。
父が私の姿を見つけて、「暑い中のお参りがやっと終われる」という安堵感。そしてもう息子に頼ってもいいのだという、人生の中での安堵感。
この二つの安堵感が、父をしてあれほどまでに笑顔たらしめていたのでしょう。
そんな意味で少しは親に孝行をできていたのかも知れません。
ある方が仰いました。「親孝行とは何ぞ?・・・それは親に心配をかけないことである。」
わが子を心配しない親はいないと思います。順風の時も逆風の時もその時々に心配をする。だからこそ親孝行は難しいのです。
子供の立場からすれば、せめてひと時であれ安心、安堵を与えてあげることが親孝行なのではないでしょうか。
今年も間もなくお盆がやってきます。ご両親がまだまだ元気でいらっしゃる方、寂しくももう既にお亡くなりになられた方、ご本人の前で、そしてお仏壇の前で安堵感を与えてあげてください。
そして私も早く安堵感が欲しい。