お盆

終わりました

本日、私のお寺で「施餓鬼法要」がありました。
この後、地蔵盆を残してはいますが、お盆の大きな行事としては、本日の施餓鬼で大きな行事は終了です。

・・・疲れました。
今日は午前中で法要は終了し、後片付けが終わると、もうスライム状態!

・・・何もする意欲がわきません。
夕食後、何とか体力を回復し、これを書いています。
つくづく、「歳だなあ・・・」と感じます。

最近は二人の息子が2,3日手伝ってくれていますが、それ以上に体力の衰えを感じています。
振り返ると、私の師匠である父も同じ思いをしていたのかなあ・・・と、今になって父親の心の中が解った思いです。

そんな父は90歳近くまでお参りに回ってくれておりました。もちろん80歳を超えてからはほぼマイペースでしたが、村の中で道の向こうから歩いてくる父は、いつもニコニコしていました。
「これでお参りが終わり!」
ホッとした思いが、顔に出てくるのでしょう。
その表情を見るたびに、少しだけ親孝行をしたような気持になるのです。
忙しいお盆の中で、この時だけは私も自分の疲れを忘れ、ほんの少しだけ幸せな気持ちになれました。

本当の幸せというものは、こんな何気ない所にあるものなのですね。
普段はそんなことに気付くこともなく、どこか遠くに目を向けて、「幸せになりたい~。」なんて思っているのが人間なんです。


お盆が来るたびに父が歩んだのと同じ道を歩いていることに気付かされ、ちょっと懐かしく、ちょっと切なく、そして次の世代に少しだけ甘えてみたい・・・心揺れ動く私です。

いざ、鎌倉(お盆)!

「お盆」 とうとうこの季節がやってきました。

8月1日には、早くも近くのお寺で「施餓鬼法要」があり、この時に顔を合わせたお寺様方と、「いよいよですなぁ…」などと言葉を交わします。
この挨拶が、いわばお盆に突入する直前の、「お互いの気の引き締め合い」を意味する言葉なのです。

この「クソ」という言葉がつくほどの暑い最中、太陽光線をしっかりと吸収してくれる黒の衣をまとい、東奔西走、南北縦断、縦横無尽に走り回るお坊様は、ブラック企業も足元にも及ばないほどの仕事量をこなしておられるのではないかと思ってしまいます。

ただ、この歳になってつくづく感じることは、体力の衰えと声帯の衰え。
若かりし頃は、どれほど声を使っても声枯れ一つなく、美声(!?)を響かせていたのが、最近は声をセーブしなければお盆の最後まで声が持たないという体たらく
このところ毎年、病院で喉荒れを治す薬を前もって処方していただいています。
足の方も筋肉が疲労し、特に膝の周りと足首周りが痛くてなりません。
ただ気合だけで乗り越えております。

ですが、体の疲労以上に、お盆というものは何とも言えない古き良き習慣であるとも感じています。
この行事のために、日本人は長い休暇を取り、故郷へと向かいます。家族兄弟が久しぶりに顔を合わせ、ご先祖を迎え、そこに私たち僧侶がお参りに寄せていただく。
いわば、この時の私たちは、日本を挙げての一大イベントの間違いない主役なんです。
お坊さんのいないお盆は、お肉の無いビーフシチューのようなもの。
ちょっと例えは悪かったですが、その様なものではないかと思います。
ともかく、今年もお盆の主役は自分だと信じて、ドリンクを片手に檀家様のお宅に馳せ参じます!

一年一度の主役

忙しいお盆の最後の行事に 地蔵盆 であります。

私たち僧侶にとって、この地蔵盆が来ると、

「いよいよ夏が終わるなぁ」と、季節の終わりと云うよりは、夏の一大行事の終わりを実感します。

普段、境内の地蔵堂は簡素なもので、取り立てて飾ることはないのですが、地蔵盆の際には、堂内も綺麗に飾られ、多くのお供え物によって、ただでさえ狭い空間が一段と狭く感じられるようになります。

普段のお彼岸やお十夜、施餓鬼といった行事は本堂のみで行われ、お参りの方々も、地蔵堂の中まで目を向ける方はあまり居られません。

 

しかし、この日ばかりはお地蔵さまが主役!

お寺によっては、幼い子供さんたちが、沢山お参りをされて、賑やかに過ごされるようです。

私のお寺でも、地蔵堂には切り子灯篭が吊り下げられ、夕方七時からのお勤めには、それに灯る明りが何とも美しく見えます。

ただ、この吊るされた灯篭は、この年に初盆を迎えた家々から持ち寄られたものなのです。そして本番では、子供たち以外に、このお家の方々がお参りになられ、美しく灯った灯篭を眺めながら、亡くなった家族の思い出とともにしみじみと夏を送る行事なのです。

 

はしゃぎまわる子供たちの中で、静かに佇む方々に、

「これでお盆は終わりましたよ。お亡くなりになった方々も、またお浄土に戻っていかれましたよ。きっとまた来年の夏に会えますよ。」 …そう言葉をおかけせずにはいられない行事なんです。

お地蔵さまはただ黙って、一年一度の主役を務めておられます。しかしその慈眼には、大人も子供も隔てなく、ただ仏の子に過ぎない姿に映っていることでしょう。

子供には楽しみを… 淋しい親族には心の安らぎを… そっと与えていらっしゃいます。

 

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