時節

小さな小さな山椒の苗

四月に入って一週間が過ぎ 本当に春らしい時候となってきました

この時期は毎朝お寺の裏にある竹藪に タケノコを掘りに行きます

今ですと 毎朝30本くらいは掘り出してきます

それを数本単位に振り分けて新聞紙に包み 檀家様やご近所に配って回るのが毎朝の日課になっています

タケノコは朝掘りが一番!

それもできるだけ早くゆがいて灰汁抜きするのが良いといわれます

もちろん我が家でも何本かをすぐに灰汁抜きして あちこちに送ったりもします

家庭内での消費はわずかなので 掘り出したほとんどが 他所のお宅の食卓に上っていることになります

今朝もいつものように竹藪に入り タケノコを掘っていたのですが たまたま掘っていたタケノコのすぐ横に5センチくらいに伸びた山椒の芽が出ていました

あまりに可愛らしかったので それを地面からそっとすくい上げ 使っていない植木鉢に移し替えて育ててみることにしました

これも山の恵みです

この小さな苗が育ってそこそこ葉をしげらせ 実をつけるようになるまで まだまだ年数はかかるはずですが すでに私は頭の中で色々な料理を思い描いています

本当に気の早い人間です

しかし楽しみというものは いくつあっても良いのではないでしょうか!?

桜が散り 若葉の季節に移り行くさなか 竹藪の中で見つけた小さな芽

黄緑色の若葉が やがて青々とした葉に成長するように 山椒の若芽がやがて大きく(!?)育ち 我が家の食卓に ちょっとした彩を添えてくれることを楽しみにしています

桜の季節になりました

良い季節になりました

私のお寺の下は桜並木になっていて きれいな桜が満開です

それに加えて 玄関横に置いてあるプランターには 今年も色とりどりのチューリップが満開です

春は良いですね

花粉症さえ無ければ 思いっきり桜の木の下で深呼吸をしたい気分です

実は3月最後の土日に 一人で車を飛ばして信州は飯田市のほうへ行って参りました

少し雨模様でしたが 元善光寺のすぐ近くには 「舞台桜」や「石塚桜」といった 桜の巨木がほぼ満開状態でした

いくつかのお寺を参拝しながら 次の原稿のネタを探してあちらこちらとさ迷ったのですが そのお話はいずれまた

さてこの時期になりますと お寺の下の桜並木には 普段以上に桜を愛でながらそぞろ歩く人が増えます

中にはおにぎり持参で 木の根元に座り込んで花見でピクニック気分を味わう方もいらっしゃいます

そこでふと思うのですが 桜を愛でるのに一番適した場所は何処なのでしょう!?

私が思うに 桜の木の下ではなく 桜をたくさん見渡せるような場所が一番なのではないでしょうか!?

少し意味合いは違いますが 「木を見て森を見ず」という言葉があります 一本一本の桜を見るよりは全体として眺めたほうが より奇麗に見えるのではないかと思うのです

もちろん桜の愛で方は人それぞれ やっぱり木の真下がいいと仰る方もおられるでしょう

ただ私が申し上げたいのは うちのお寺の前には石段があり ここに腰かけて眺める桜がなんとも奇麗なんです

遠慮をして石段を登ってこられない方ばかりなんですが もしこれを読んでおられる方がいらっしゃれば 是非遠慮せずにお上がり下さい お寺の境内から眺める桜並木の美しさはまた格別なものですよ

目出度くもあり 目出度くもなし

数日前 還暦の誕生日を迎えました

子供の頃は還暦というと随分老人に思えたものでしたが いざ自分がその歳になってみると…

若い!

いや恥ずかしながら歳相応の精神年齢に 未だ到達していないことに愕然とします

「もっと落ち着かなければ…」などと 自分に対して叱咤をしてみるのですが無理です

ただ毎朝鏡で見る自分の顔に 程よく老化した皮膚と白髪とが見て取れ 間違いなく年を重ねてきたということを自覚させられます

いったい人の落ち着きとは何なのでしょうか!?

恐らく人の持つ理性の強さなのではないでしょうか?

何事にも己を抑えることのできる「強い理性」こそが 高度な精神ともいうべきものなのでしょう

今の私は強く抑えることと どこかでその反動として発散させることがうまくバランスをとれていなければ 心がポッキリと折れてしまいそうになります

そのあたりがまだまだ修行の途中ということなのでしょう

「ちょうど暦も一回りして赤ちゃんに戻ったことですし 改めて人生の修行のやり直しと行きますか」と言いながら 誕生日には赤いチャンチャンコならぬ 赤いTシャツを着て赤ワインで一杯やってしまった私は 未だ修行とは程遠い生活をしております

60回目の誕生日 無事に迎えて目出度くもあり 精神未だ成熟せず目出度くもなし

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