日和田

徳田師からの宿題

寒い日が続きます。

1月も半ばを過ぎ、一年で最も寒い時期を過ごしています。

この時期になると、思い出されるのは昨年1月に遷化された徳田泰秀師のことです。

布教師会の中でも取り分け生真面目で、温厚な中にお茶目な一面があり、誰からも慕われる方でありました。

私のほうがずっと年下なのに、「会長、会長!」と声を掛けてくださり、様々なアドバイスをいただきました。

実はその徳田師から、生前にいくつかの宿題をいただいておりました。

一つは、布教師のための参考本を作ること。

そしてもう一つは、岐阜県高山市日和田にある「融通念仏伝承碑」の整備。

参考本は、山本理事を中心にして、今最後の校正の追い上げ中。

何とか私の任期の内に間に合いそうです。・・・いや、間に合わせます。

もう一つの方は、本来ならば本山の事業になるのですが、内局から「布教師会の方で頼みたい。」と委任されまして、布教師理事会で承認のあと、現在は会員の方々や有縁の方々にご寄付を願っているところであります。

こちらの方も整備のためのお金は、何とか3月中には集まりそうです。もっとも、工事にかかれるのはこの春以降。山深い所だけに雪解けを待たないと、仕事ができないでしょう。

わたしの任期が切れる直前にまで宿題がずれ込むという事は、「我ながら子供の頃からの癖が抜けきっていないな・・・。」と、苦笑いです。

伝承碑の整備が完成すれば、今まで以上に日和田村を訪ねていきたいと思います。

現在ではトンネルが整備され、かなり時間が短縮されましたが、野麦峠のすぐ近く、山を越え谷を越え、明治の頃に若き女性たちが松本の方へと歩いて越えていった険しい道を辿って行くのも、良き体験になるのではないでしょうか。

徳田氏が残された宿題は、どれもこれも一人でできるものではなく、周りの方々の協力が無ければとてもできることではありません。

その意味で、この6年間私は本当に良きスタッフに恵まれていたように思います。

そして、あと二か月とちょっと、走り抜けます。

PS. 融通念仏伝承碑の整備金は現在絶賛受付中!

  ご連絡いただければ集金に馳せ参じます。

日和田に行ってきました

今月2、3日と岐阜県高山市の日和田というところへ行って参りました。

融通念仏宗の方ならご存知の方も多いかと思いますが、野麦峠のすぐ近く、山また山の本当に山奥にある日和田集落に融通念仏が伝わっており、もう随分前になりますがこの地に「融通念仏伝承地」という石碑が建てられました。

日和田では昔、大雪の時期にお葬式ができた時には、麓からお坊さんが来られず、集落の人たちで融通念仏を称えて弔いをしたといいます。

私のお説教の師匠であった山本静章師が初めてこの地を訪ねられ、その後細々と交流が続いてきたのですが、この度石碑の周囲の土地を本山に寄進していただくこととなり、正式にその手続きが終了したことを受けて、本山から田中宗務総長、好野庶務部長、佐々木財務部長に私が加わり、日和田の地まで御礼を兼ねてご挨拶に行って参りました。

少し雨模様だったのですが、山深いところに石碑が建ち、それを日和田の方々が長い間お守りしてくださっていたのは本当に有難いことです。

この日和田の皆さんが、初めて本山大念佛寺にお参りくださったのは、確か大阪で花博が催されていた時であったと記憶しています。

5月の万部法要に日和田融通念仏を奉納してくださったのですが、そのあとの懇親会で、当時布教師会で一番若手であった私が日和田の皆さんにお酌をして回った記憶があります。

その時のことをお話しすると、皆さん大変驚いておられました。

あれから30年以上の月日が流れ、主だった方々は皆鬼籍に入られ、布教師会でも、日和田でもその時のことを覚えておられる方は随分少なくなってしまいました。

大切なことは、この交流をたとえお互いに遠く離れたところにあっても末永く続けていくこと。

コロナという如何ともしがたい壁はあっても、融通念仏のつながりを深めていくことが私たちの務めであり、これからの若い布教師の皆さんにも是非お願いしたいと思います。

雨に霞む山々を眺め、布教師会の先輩方が結ばれた絆を再確認させていただき、思いを新たにして帰途に就いたのでありました。

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