法要

人を見る眼

先日、ある方の御通夜に寄せていただきました
若い頃から、何かとお世話になった方で、もう御声が聴けなくなるかと思うと本当に寂しい限りです

若い頃より、様々な体験を重ねられ、直にいろいろと伺ってはいましたが、その一つ一つは独立したもので、私の中で何一つ繋がりを持っていませんでした

通夜の折、息子さんが挨拶に立たれ、改めてその体験談を、御家族から伺った時、私は自分の考えの浅さに大きな衝撃を受けたのです

「人生の物語は、その人の家族にしか見えないものがある いくら近くにいて、お話をたくさん聞いたとしても、他人には決して読み取ることのできない機微がある…」

今回、息子さんの話を伺い、私はこの方の一面しか見ていなかったことに気付かされました。一つ一つのお話が一本の糸に繋がり、この方の心の中までも見えたような気がしました
そして改めて、この方に出会えて良かったと思えました

「運心観法(うんしんかんぼう)」という言葉があります
心を運んで法を観よ 自分の「心」を観察する対象にまで持って行き、そこにあるものを心で観察しなさい という教えです。

その人がする「行い」には、一つ一つに意味がある ぼーっと見ていては、大切な何かを見落としてしまうかもしれない

勿論、簡単にできることではありません
そこには自身の人生経験や、読書、映画鑑賞といった疑似体験など、様々な事を積み重ね、自分の心に深みと広がりを与えていかなければ、相手の心を自分の中に映しだすことなどできないのですから

私たち布教師には、とても大切な言葉であり、生涯をかけて心していかなくてはならない教えなのです

本山のお十夜

ちょっと昔話を一つ と言っても30年ほど昔の話なんですが…

毎年11月14日は 総本山大念佛寺で「十夜法要」が行われます

私が布教師会に入らせていただいた頃は 現在と異なり 夕方5時からのお勤めでした

勤行やベテラン布教師によるお説教が三座あり10時過ぎからお参りの方々と小豆粥を頂きます

その頃は今よりもずっと寒く しかも夕方からの法要だったので いくらストーブを焚いても広すぎる本堂の中では全く効き目はありませんでした

お参りの方々もストーブの周りに集まって暖をとりながら それでも凍えるので 本山が用意した毛布にくるまって 手を合わせておられたことを覚えています

布教師会の末席に加わらせていただいて 自分以外の方々にビクビクとしていた頃の事 布教師会の部屋にいると緊張感に潰されそうになるので 本堂に座らせてもらうのですが こちらはこちらで寒さに苦しめられるという 自分の居場所を探すのに大変苦労をしていました

そして11時ごろからは 私のような布教師の卵に 本堂での一座が与えられるのです

持ち時間は一人30分 薄暗くて寒い本堂の中 それでもその中に数人の参拝者がおられました

今から思えば 本当に有り難いことです 寒さに凍える本堂の中 それも深夜に 私のような駆け出しの若造のお話を聴いてくださる方がいる 

「未熟者ではあっても 今夜この方々のために 自分にできる精一杯のお話をしよう」

そう誓って 一座を務めていました

今となっては良き思い出ではありますが その頃の経験が今の私のベースになっていることは間違いありません そして100人中99人が寝ていようとも たった一人の方が耳を傾けてくださっているなら その方のために全霊を傾けてお話をしようと心がけてきました

今の時代 自分を磨かせてもらえる場所をそっと提供してもらえるようなことは 随分と難しくなりました その意味で 現在の若手の布教師さんは可哀そうに思えますが どうか自分で勉強の場所を見つけて 努力を惜しまず進んでいただきたいと思います

まだ私が20代のぴちぴちの若者だった頃の懐かしい思い出でした

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