友 遠方より来る

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数日前 はるばる福井県から 大学時代の友人N君が訪ねて来てくれました

年に一度メールが入り 夕方にやって来ては翌朝帰っていきます

自宅は兵庫県にあるのですが 単身赴任で 彼の家族はもちろんこのことは知りません(あっ ここでこんな事をバラしてもよかったのかな!?)

前もって 食事のリクエストを聞くと 「お肉が食べたい!」とのこと

今回は張り込んでローストビーフ! もちろん私の手作り

お寺でローストビーフ… まぁ そのことはサラッと流していただいて

食べるときの彼の遠慮の無さはさすがでした

その姿を見て 私は何故かホッとするのです

そして食事が終わった後も 日付が変わるまで色々な話に花が咲きました

家族の話 仕事の話 学生時代の話 あちらこちらに話は飛びながらも 目の前に迫った「定年」の二文字に彼も色々と悩んでいるようでした

その最後に彼は言いました

「お前は今まで人生の転機になった出来事ってあるか!?」

もちろん転機の無い人生などあるはずがありません 私にも過去を振り返れば何度も転機がありました

彼曰く その時にどの選択肢を選んだかで 人生がまるで違ってきたはずで ひょっとしたらこの世界に並行する形で 違う選択肢を選んだ何人もの自分という人間が全く違う人生を過ごしているのではないか!?と言うのです

「それでも…」彼は言いました

「今までの自分が取った選択に 後悔は無い」

素晴らしい! そう思わずにはおれませんでした

そして彼は続けて「自分が挫折を味わった時 どうやって這い上がるかで その後の人生が大きく変わる」

少年時代の彼の昔話を聞きながら 彼は彼なりに挫折を味わい それを自分の力に変えて育ってきたのだと感じました

当時私が通った大学には こんな人間が沢山いました 今でも毎年同窓会を開き旧交を温めています

そして自分の過去を振り返り「もしもあの時 這い上がれていなかったなら こんな素晴らしい友人と出会うことは無かったのだ」と思うと「私も少しは頑張っていたんだ」と 少し自分が誇らしくなりました

今日から10月

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早いもので 令和2年もあと三か月となりました

今年は コロナに始まりコロナに終わりそうな一年でありました

このコロナが蔓延してからというもの 本当に時代の流れが速くなったと感じずにはおれません

ただ こんな時こそ腰を落ち着けて この時代の流れていく先をしっかり見ていかなくてはなりません

「止観」という言葉があります

「しっかり歩け しっかり止まれ」と申せばよいでしょうか

今の時代ほどこの言葉を重く感じることはありません

「止」は前(さき)にあって煩悩を伏し「観」は後にあって煩悩を断じ 正に真如を証す

人間の持つ煩悩が道を迷わせ 判断を誤らせ 袋小路へと向かわせていくのです

自分自身の本当の目標は何か!? それが正しいものなのか!? 道は間違っていないか!? よそ見をしていないか!?

その一つ一つを一心不乱に歩み続けながらも 時にはしっかり立ち止まって検証していく

マスクに先を争ったり 給付金に右往左往したり GOTOに一喜一憂したり… 目の前のことに心を囚われ 自分にとって何が大切であるのかを見落としてしまっては 全く持って勿体ないことになってしまいます

とは言え かくいう私もコロナに振り回された日々でありました 最近になってようやく心のゆとりが出来てきたような有様です

コロナに限らず この世には私たちを迷わすものがあふれています 何より迷いやすい心を持っているのが私たちなのですから 迷うのも当たり前

そんな時「止観」の二文字を思い浮かべ 自らの逸る心を抑えて残る三か月をゆったりと過ごしていこうではありませんか

音楽会

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先日(9月21日)に ある音楽会に行って参りました

お彼岸の最中に音楽会とは…

今までであれば 全くと言っていいほど不可能だったと思います

今年に限れば コロナの影響で お彼岸が例年よりも楽になりまして 大変贅沢なミニコンサートに行くことが出来ました

私のお寺の隣村に 星誕音楽堂という小さな音楽ホールがあり 私はさほど詳しくは無かったのですが 知る人ぞ知る有名なホールらしいです

私のお寺でお花見コンサートを毎年企画しており 以前出演して頂いたご縁で フルート奏者の奥田律さんにこの度お誘いを頂いた次第

秋の夜長に ピアノ フルート ベースという組み合わせで 聴衆がわずか十人 本当に贅沢なひと時を過ごさせて頂きました

もちろん この人数は三密を避ける為で 仕方のないことではありますが 個人で貸し切りにしているような錯覚を覚えるほどでした

そう考えると コロナがもたらした影響というものは 善悪両面があるのではないかと思えてなりません

それはコロナをとらえる私たち自身の見方 考え方が前向きか 後ろ向きかということ 或いは私たちの心に どれだけのゆとりがあるのかにもよるのではないか!?ということです

ものごとには必ず表と裏があり どちらに偏ってもすべてを見通すことはできません

また人間には理性の眼と感情の眼があり 理性に偏ると理屈に走り 感情に偏ると好き嫌いになってしまいます

この二つの見方 二つの眼を上手くまとめて見ていくのが 法の眼 仏さまの眼なのです

コロナという目に見えないウイルスに右往左往している私たちですが 無理をせず ちょっと見方を変えて生活に明るい色合いをつけていこうではありませんか どのみちコロナとは長~い付き合いになっていくのでしょうから

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