やさしい雨音

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今、外は雨が降っています。

私のお寺は大阪の郊外にあり、本堂の裏手には竹林があります。

少し早めに帰宅した本日は、窓ガラス越しに雨に打たれる竹林を眺めながら、椅子に座って読書をしていました。お気に入りは、藤沢周平の時代小説。

と… そこまでは良かったのですが、気が付くと本を下に落としてコックリコックリ。

 

「ザーザー」という雨音と「ざわざわ」という竹林の音が何とも気持ちよく耳に響いて、気がつけば心地よい微睡みの中に落ちていました。

 

人は常に様々な音を聴きながら生活をしています。それは耳に心地よく聞こえるものもあれば、やたら耳障りな音もあります。

今日のそれは、いわば「雨音の中にある静寂」とでも呼べばよいのでしょう。

一切のノイズを雨音と竹林の立てる音が消し去ってしまい、心の中に深い静寂をもたらしてくれました。

お金では決して買えない最高の贅沢!

そう考えると、目に見える贅沢に走りがちな私たちに、「もっと視野を広げなさい」と教えられてもいるようです。

 

晴れた日は日光浴を楽しみ

雨の日は雨音を聴き

風の日は風に舞う木の葉を追いかける…

 

そんな心のゆとりをもって生活をしたいものですね。

良き別れ

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先日、テレビを見ていて素敵なシーンに出会いました。

ちょうど撮影された季節は、3月の終わりだろうと思います。

鹿児島県の甑島(こしきじま)の港を離れていくフェリーに向かって、「先生ありがとうございました!」と書かれた横断幕を持った中学生ぐらいの生徒たちが、去り行く恩師に向かって手を振って別れを惜しんでいるのです。

 

「なんと素晴らしい別れだろう!」

思わず感動してしまいました。

振り返って、自分の記憶をたどれば、恩師とこのような別れをしたという記憶は全くないことに愕然としてしまいました。

大抵が、新年度の始業式に「だれそれ先生が転任なさいました。」という報告を受けるだけで、改めて別れを惜しむといったことは無かったように思います。

そこで気付いたのですが、「人は良き出会いを求めることはあっても、良き別れを求めることは少ない」ということ。

本来、最初から良き出会いなどというものはありません。一つの出会い、一つのご縁を大切に育てて行くことによって、はじめて良き出会いとなるのです。

そして、良き出会いと出来たからこそ、良き別れが出来るのです。

 

「会者定離」

出会いがあれば、必ず別れがある。

その別れの時に心から「素晴らしい出会いをありがとう!」と言える人生こそ、本当に豊かで幸せな人生なのではないでしょうか!?

 

ほどほど…ということ

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私のお寺の窓から、遠くに「ほどほど」と書かれた看板が見えます。

私は行ったことがないのですが、どうやら喫茶店の名前らしいのです。

名前に「ほどほど」などと付けるくらいですから、「あんまりコーヒー一杯で長居をしちゃだめですよ。」…といった具合に、お客さんに入店前に釘を刺しているのかな?とか考えてしまうのですが、ネーミングとしては面白いと思います。

 

この「ほどほど」という言葉は、実に微妙なニュアンスで、物事に対する私たちのあり方を正してくれていると思うのです。

右にも左にも偏らない、言わば絶妙の立ち位置がこの「ほどほど」なのです。

その昔、お釈迦様が「中道」ということを説かれましたが、これがまさに「ほどほど」ということ。

怠惰な生活を続けることは良くない事ではありますが、だからと言って、自分の体を蝕んでしまうような厳しい修行を続けることもまた、良くはありません。

 

これは仏道に限らず、会社組織の中でも、学校の中でも、同じではないでしょうか?

車のハンドルにさえ遊びがあります。遊びがなければ、車の運転はものすごく緊張を強いられるものになるでしょう。

 

私がこんなことをつぶやいているのは、実はこの春から新しいスタートを切った方々に、「無理はしなくていいんだよ、適当なところで、息抜きも大切なんだよ。」…そう言いたかったからなのです。

白でも黒でもない、グレーゾーンをいかに持つか。そしてそのグレーゾーンの中で如何に自分を保つか?

頭の中のどこかに、この「ほどほど」という言葉を常に置いておいてください。

 

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