そういえば一昨年…

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1月10日 朝の8時直前

「ぎゃー!!」という叫び声とともに 大学生の娘が起きてきました

「電車に間に合わないぃぃぃ―!」

 

「何分の電車!?」と尋ねると

「8時5分!」  発車まで10分を切っています

 

娘はこの日、高校時代の女友達4人と、一泊温泉旅行に行くことになっていました

 

誰しも身に覚えがあるとは思いますが、遠足の前日は興奮してなかなか寝付けなかったものです

このとき子供には 二つのパターンがあって、一つは興奮が朝まで続き、いつもより早く目が覚めてしまう子供。もう一つは体がしっかりと睡眠時間を要求して、寝つきが悪かった分、そのしわ寄せが朝にきて、寝過ごしてしまう子供

 

娘は後者の方で、寝ぼけた頭でパニック状態!

聞けば「明日の朝で間に合うから」と、旅行の準備もしていなかった様子。しかも4人分の電車の切符まで預かっている(汗)

 

「オー マイ ブッダ!」

慌ててネットで、予約していた特急の出発時刻と 間に合う電車を調べ、化粧もそっちのけで準備をして 滑り込みでセーフ!

 

「人生何とかなるもんだ…」と、嵐のように出かけて行った娘の姿を思い出し、

この世には 「大丈夫」 という保証はないと 一人で頷いております

 

「明日時間があるから、明日でも大丈夫」

「別に今やらなくても、この次でいいや」

「これだけやれば、あとはやらなくても心配ないさ」

 

そんな確証はどこにも無いんです

人は、用心に用心を重ねて歩んでいかなければならないということだと思います

用心深く歩いていくべしと、考えさせられた出来事でした

明けましておめでとうございます

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このブログをお読みの皆様、新年明けましておめでとうございます

 

「今年もよろしくお願い申し上げます」としたためたところで

突然ですが 眠い! 例えようもなく眠いです!

大晦日から元日にかけては ほぼ不眠状態で過ごします。還暦近い年齢にはこれは大変堪えます

 

私のお寺でも、恒例の 除夜の鐘つき がありますが、有り難いことに大勢の方がつきにこられます今年は外国からの留学生の方も3名やって来られました。恒例行事も 様変わり です

問題は百八つでは足らないこと。住職としてはこんなに嬉しいことは無いのですが、体がついていかなくなりつつあることを認めざるを得ません

 

元日は、朝から檀家様のお年賀を受け、午後3時になる頃には撃沈!

これを書いている今、2日の箱根駅伝2区の真っ最中です

 

この様な事をつぶやきながらも、私にとって除夜の鐘は、大好きな行事の一つです

様々な方が鐘をつきに来られ、ほんのわずかな時間の出会いであっても、その方々の思いが伝わってきます

 

「今年は受験生です」「20年ぶりに里帰りして つきに来ました」「昨年、長年連れ添った主人が亡くなりました」等々…

釣鐘の前に立って お参りの方々を迎えて

わずか数十秒の会話の中に、その方の 一年間の思い を受け止める…

僧侶としての務めの重さを、改めて実感する瞬間です

一言一言の言葉に込められた、その方の心に正面から向き合う

ただただ聞くだけであっても、そうすることで心の重みが少しでも軽くなれば、これ程嬉しいことはありません

 

「一期一会」

私たちの毎日は、一期一会の連続です。ほんの数秒の出会いであっても、大切にして生きて行くことが、豊かな人生を養ってくれるのです

 

私たち布教師の大先輩が残された句

 

人の世の 出会い嬉しや 法(のり)の道

旅路はるかに 光求めて

 

願わくは、皆様にとって今年一年が心豊かな年でありますように

クリスマスキャロルが流れる頃に…ふと思う

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今年も残すところあとわずかになってきました

街はクリスマス一色となっています

12月は師走 そう! お坊様が走り回る時期であります

そして忘れてならないのが12月8日

太平洋戦争が始まった日であり、私たち仏教徒には お釈迦様が悟りを開かれた日「成道会」の日なのであります

 

まあ、それにしても日本人の宗教観というものには感心します

一年を通じて仏教徒になったり、クリスチャンになったり…

だってクリスマスが終われば除夜の鐘をついて、神社仏閣に初詣に行かれるでしょう?

 

以前、堺屋太一さんが仰っておられました

「日本人の、宗教というものへの『寛大さ(良く言えば)』を作ったのは聖徳太子である」と…(神道の国に佛教を持ち込んで国教とした点で)

 

元々農耕民族である日本人は、自然に対する畏敬の念はかなり強かったみたいですね。それだけに、自分たちに幸せをもたらしてくれる神仏は何でもOK!

これを書くと、本当のクリスチャンの方々に怒られてしまうかもしれませんが、それこそイエスキリスト様もまた、八百万の神々の中の一人の神様的な感覚で捉えているのではないかと思うことがあります

日本の風土というものが、一神教ではなく、多神教を是とするようになっていると思うのです

 

そんな私も子供の頃は、家(お寺)にクリスマスツリーを飾ってもらえずに、友達の家へ遊びに行っては淋しい思いをして育ち、結婚をして子供ができたときには、その反動で「子供の情操教育だ!」などと言って、自分の身長ほどのツリーを買ってきて、自己満悦に浸っていました

子供が成長した今では、その子供たちから「お寺の住職が何をやってんだ!」…などと 逆に窘められています

 

まあ、長々と書いてきましたが、要は己の心に幸せを感じることができれば、何だって良いじゃないですか!

本来、宗教というものは人の心に幸せを運ぶものなんですから

これを読んで下さってる皆さんが、来る平成30年を幸せ一杯に過ごされます事を祈って今年最後のつぶやきとさせていただきます

あっ お正月ももちろんワインで乾杯!

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