融通

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私の好きな漫画に‘鋼の錬金術師’ という作品があります。
その中に「一(イチ)は全、全は 一(イチ)」という台詞が出てきます。

ある章で、師匠から この「一(イチ)は全、全は一(イチ)」の解釈を求められた、主人公のエドワード兄弟が、「一は俺! 全は世界!」と、自分達の思いを言葉する場面が出てきます。

「融通」の教えにも、この漫画の一場面に共通する部分があります。

「おでん」を例にとると、その中にはちくわ 大根 こんにゃく 牛すじ、たまご はんぺん 厚揚げ など… たくさんの種類の食材が入っています。

それぞれ一つ一つ、単体で食べても美味しい食材です。
でも「おでん」は、それら全てが入って初めて「おでん」になるのです。
ちくわだけでは「おでん」ではないですし、もちろんたまごだけでも「おでん」はできません。
しかも「おでん」はそれぞれの食材の味を損なうこと無くそれ以上にまで味を高めます。
もともと別々であった物が融け合って一体となること。別々の食材が融け合って「おでん」という料理をかたち作るのです。
それが「融通」のお心と重なるわけです。
一人一人の個性が集まり、社会を形成する。すなわち一人一人が尊重し合える、互いに損ない合うことの無い、融通の世界にこそ幸せがあるのではないでしょうか。

一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行

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元祖良忍上人が阿弥陀如来より授けられた御文に
「一人一切人、一切人一人。一行一切行、一切行一行」
とあります。

自分(一人)は世の中の人(一切人)と共に生きている。、世の中の人も、自分と共に生きている。
自分が称える念仏(一行)は世の人の為の念仏(一切行)でもあり、世の人の念仏も自分の為の念仏である。

三本足の香呂があります。この足のどれか一本でも折れてしまえば他の二本が付いていても香呂はこけてしまい、香呂としての役割を果たせなくなります。
それぞれ足にA、B、Cと名前を付けるとします。
融通の考えでは、AはAだけれども同時にBでもあり、Cでもある。
BもBでもあり、CでもAでもある。
Cも、Cであると同時にAでもBでもある。
と考えるのです。

お互いに必要としている。必要とされている。
これが一人一切人、一切人一人。

皆さんは、信号守りますか?
車が行き交う赤信号を横切る人はいないですね。
何故、信号を守るのでしょう。

色々な理由がありますが、無意識に信号を守るのは、まず自分の為であります。
事故に遭いたくない。事故を起こしたくない。
警察に捕まりたくない。

誰も好き好んで事故を起こす人はいません。

しかし、自分の為に信号を守っているその瞬間、同時に周りの人や車を守っている事にもなっているのです。
また、反対に自分も周りの人や車に守られているのです。
自分の為の行い(一行)が他人の為の行い(一切行)になっているのです。
他人の行い(一切行が)知らず知らずのうちに自分の為(一行)になっているのです。
一行一切行、一切行一行であります。

信号の例は氷山の一角でしかありません。
この世の中、私達は知らず知らずのうちに、お互いに守り守られて生かされているのです。

阿弥陀如来は良忍上人に、この見えないお陰様に気付けよと、一人一切人の御文をお授けになったのです。

私は生かされている、という事に気が付くことがまず大切です。
そして生かされていることに感謝し、自分も他人を生かしているという喜びを持って下さい。

一人一切人、一切人一人
一行一切行、一切行一行

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