紅葉

霧に包まれた山々に朝日が射しこんでいる。

山あいの集落から眺める景色もまた朝の静けさの中にある。

グンと冷え込んだと思ったら、今朝は吐く息にも白いものが見える。

こんな日は、陽が昇れば必ず青空が広がり、気持ちの良い一日になるに違いない。

朝をゆっくり過ごし、宿を出発してからは山沿いの道をてくてくと歩いて峠を目指す。

朝霧はとっくに消え、太陽に照らされた山肌の見事なグラデーションを眺める。

山がお洒落を始めたようだ。

季節が移り替わるという事は、古い着物を脱ぎ棄てて新しいものに着替えて行くという事。

自然はその時期に最高のプレゼントを送ってくれる。

まだ緑を残す木もあれば、黄色に色づくもの、真っ赤に染まるもの。

里より少し早く進む季節の光景に眼を奪われながら、心地よい風に吹かれて額の汗をぬぐう事も忘れ街道に佇んでいた。

キラッ!

何かが光った気がしてふと空に眼をやると、青空の中に確かにキラキラ光りながら漂うものが見える。

「何っ?」

不思議に思ってそれを眺めているうちに気が付いた。

落ち葉が空を舞っているのだ。

山あいを渡る風はやがて尾根に沿って舞い上がり、木々の枝から色付いた葉っぱを千切り取って大空高く舞い上げる。

その落ち葉たちが大空で陽の光を反射してキラキラ輝いているのだ。

「美しい・・・」

曼陀羅華の花が舞い踊るような・・・そう、まさに桃源郷に舞い込んでしまったような錯覚を覚え、しばし言葉を忘れてその光景を眺めていた。

自然とはこうも人を魅惑させるもなのだ。

冬へと向かうほんの少し前、木々に宿る葉は一年の命の輝きをこのひと時にかけて色付き、そして散っていく。

しばしの間、墨色の季節を潜り抜け、また来春には燃えるような緑の葉を楽しませてくれる。

人もまた自然の一部であるのなら、人間の命の繋がりもまたこうやって新しい世代へとつながって行くのだろう。

人生の紅葉の季節に入りつつある自分には、この光景がこれからの人生の姿を示されているように思えたのである。(善)

(撮影:脇坂実希)

小豆粥

「小豆粥」と言えば、何を想像されますか。

小正月(1月15日)での食事、特別な食事、家族団らん、伝統的行事の食事、何かを達成した時などではないでしょうか。

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無常

夜明け前の長い暗闇を破り、東の空が白み始め、鳥たちのさえずりの声が聞こえてきます。

しばらくするとまばゆいばかりの太陽の光が差し込み、新しい朝の始まりを告げます。

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精霊馬

近しいひとを亡くした者は、誰しも「亡くなったひとが幸せになってほしい」そう願うものです。仏教的に表現すると、「極楽浄土に往生してほしい」となります。

だけど往生したままだと少し寂しい、そう思うのも人情です。

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茅の輪

6月に入ると大きな神社やお寺の境内に茅(ちがや)やスゲ、薄(すすき)などで拵えた大きな輪が立てられます。

茅の輪と呼ばれるこの輪を潜り抜けることで体に溜まった穢れを落とすことが出来ると言われてきました。

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てるてる坊主

梅雨の季節になりました。

梅雨とは元々、雨でじめじめすると黴が生えやすい事から、黴をもたらす雨と書いて黴雨(ばいう)と言われておりました。しかし余りにも言葉が悪いので、発音が同じ梅の字を当てて梅雨(ばいう)と書き、梅の実が熟す頃に降る雨という意味になったと言われております。

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