この季節になると田んぼの風景は実に殺風景になる。
ひと月ほど前はまだ金色に輝く稲穂が、重たげに垂れたその頭を風に揺らせていたのだが、気が付くとその稲穂はすっかり姿を消し、地面から毬栗頭のように刈り取られた後の稲の切り株が残るだけとなっている。
あれほど暑かった日々もひと段落。太陽は柔らかい光を投げかけている。
風の中に少し肌寒さが混じるこの頃、犬の散歩に畦道を歩いていると刈り取られた稲株の間から青い稲の新芽が伸び始めていることに気が付いた。
孫生えだ。
「蘖」とも書くが、私は「孫生え」と書く方が好きだ。
刈り取られ、稲の命は終わったかのように見えて、「いやいやまだまだ生きていますよ!元気ですよ!」
眺める私たちにそう訴えているようで思わず微笑んでしまいそうになる。
いずれは田起こしをされて土に還ってしまうのだけれど、今ひと時の命の輝きを私たちに見せてくれているのだ。
そう思うと、命というものは何と力強く感動的なものなのであろう。
今私が眺める田んぼには、刈り取られた後の一面の黄土色の中に、孫生えの新緑の髭が伸び始め、新たな味わいが感じられるようになっている。
自然とは、かくも私たちの眼を楽しませてくれるものなのか。
どうかほんの少しの間だけでも、その小さな芽で緑が消えて行くこれからの季節に彩を添えておくれ。(善)
(撮影:脇坂実希)