万部法要

五月晴れの光がやさしく、新緑が目に美しく映え、風さわやかなこの季節に、毎年 融通念佛宗 総本山 大念佛寺の最大の伝統行事、『万部法要』が行われる。

今年は、令和の本堂大屋根葺替えにより、法要が屋外の瑞祥閣の前の舞台で行われた、最後の年であった。

万部法要は、金色に輝く美しく清らかな極楽浄土の世界をこの世に表したものであり、楽人により天の妙音の雅楽が奏でられ、讃師により美しい声明「四智讃」が献じられ、金色の菩薩様の華のお供えがなされた後、散華師の手から離れた華も、全て舞台の上で、五月の午後の光の中で、輝いて見えた。

供養のために唱えられた『阿弥陀経』の御導師と維那師と大衆の読経の声の調和は、呉音の柔らかい響きの中で、とてもさわやかに聞こえた。

私にとって、この法要の心象風景は、『阿弥陀経』の中に描かれた極楽浄土世界の金色にきらきら輝く光景と鳥の美しい音と、また、『阿弥陀経』の中の「その人の命が終わるときに臨みて、阿弥陀仏と諸々の聖衆がその人の前に現れ、その人が終わるときに、心が転倒することなく、即ち阿弥陀仏の極楽浄土へ、生まれ往くことができる」というくだりとが、法要の趣旨の通り、そのまま現実になったように思えた。

この心象風景は、あの『源氏物語』をもとにした大和和紀の『あさきゆめみし』の中で、紫の上が主催した最後の法会で、紫の上自身が、

「……ああ…!  この世はなんと美しいのだろう……! 生きとし生けるものは みななんと美しい輝きに満ちているか……!」(*1)

と述べ、参詣の人々が、

「おお……なんと……この世のものとは思えぬ……」

「御仏のおわす極楽浄土もかくや……」

「生きているあいだにこのような美しい法会に出会うとは」(*2)

と、口々に感嘆した法会の心象風景と、重なり合うイメージも、私にはかなりありました。それは、今年の万部法要と紫の上の法会が、同じように屋外でなされていたので、極楽浄土のイメージに、更に現実の光のイメージが付け加わったからだと思う。(宗)
(*1)(*2)

引用 『あさきゆめみし5』(大和和紀)(講談社 2015年2月14日第38刷)

(撮影:脇坂実希)