稲刈り

秋のよく晴れた休日、黄金色に美しく色づいた田んぼのあちこちから賑やかな声が聞こえてきます。

今日は家族総出で秋の実りの収穫日。

普段は離れて暮らしていても、この日だけはみんなが集まり、朝からコンバインの音とともに稲を刈る。

子供のはしゃぐ声が響く中、お米が一杯になった米袋が次々に積まれていく光景は、随分と様変わりしたものだと思わずにはいられません。

私がまだ子供の頃は、農家のみんなが腰を屈め、稲穂を自分の手で刈り取っては日干ししていったものです。

お米ははるか昔の弥生時代から日本人の主食でした。「米」という文字が八、十、八の文字からできており、その字の示すとおりに八十八の手間暇がかけられて収穫できるのだとも教えられてきました。

機械化が進んだことで随分と楽になったことは確かですが、一年をかけ汗水を流して育ててきたお米を天地自然の恵みに感謝して刈り取っていくのです。

そしてその恵みとともに、眼に見えない神仏の加護への感謝を込めて、この時期には秋祭りも行われます。

今年無事に収穫できたことへのお礼と、来年が同じく豊作となりますように願いを込めて、太鼓囃子の中を神輿や地車が繰り出し、皆でお祝いをするのです。

そのように考えていくと、お米を作るということは「神仏の眼に見えない加護」、「天地自然の恵み」、そして「人の流した汗」が三位一体となって初めて手にすることのできる、とても貴重で有難いものであるといえるでしょう。

私たちは、そんなお米を毎日食することができる幸せをしっかりと噛み締めなくてはなりませんね。食事の時に言う「いただきます」という言葉は、まさしく感謝の心の表れなのです。(善)

(撮影:脇坂実希)