十夜

“ 山門を 入れば十夜の 念佛かな ”

これは布教師の先達、故稲葉珠慶師のお歌です。

お十夜は、年の瀬が迫りつつある11月(旧暦の10月6日から15日まで)に十日十晩にわたって修される別時念佛法要で、室町時代末期の永享年間に始まったとされています。

無量寿経の中に、「この世において十日十夜の間善根功徳を積めば、仏様の国で千年間功徳を積むことに勝る」と説かれています。

それほど仏様の世界では簡単にできてしまう善行が、私たちが暮らしているこの世界(娑婆世界)では難しいというのです。

私たちは日頃から大小を問わず様々な罪を作りながら生きています。悪意が無くとも知らず知らずに人を傷つけてしまったり、自分のお腹を満たすために魚などの動物や植物の命を殺生したり。

もちろん、人が生きていくためにどうしても必要なこともありますが、ただ罪を作り続けていくだけではない、人間はその逆に善き行いをしていくこともできるはずです。

十日間の念仏行を初めて行ったのは、平貞国という人であったと言われています。

貞国には室町幕府の重職をしていた兄貞経がいたため家督を継ぐことができず、出家を志して京都の真如堂において三日間の念仏行を行ったところ、仏様の不思議な夢の導きによって兄に代わって家督を相続することができました。そうして、そのお礼も兼ねて真如堂で改めて七日間の念仏行をされたのでした。

最初の三日間は自分の願いのためのお念仏であったものが、後の七日間のお念仏は感謝のお念仏となっていたのです。

“私たちは仏様という大いなる力に導かれて生かされている。”

・・・そのことに気付いた時、私たちは初めて感謝の心を持つことができます。この感謝の心こそが私たちを善き行いへと導いてくれるのではないでしょうか。

貞国が行った都合十日間のお念仏が、やがて全国の浄土系の宗派に広がり、私たち融通念佛宗の各寺院においても11月から12月にかけての時期にお勤めされています。

“ 山門を 入れば十夜の 念佛かな ”

今年もまたこれからの季節、お寺から大勢でお念仏を称える声が聴こえてくることでしょう。それは今年一年の無事を感謝する心と、また来年が世界中の人々が幸せでありますようにと願う心でお称えされているお念仏なのです。

皆さんもお寺の前を通るときにこのお念仏が聴こえたら、そっと立ち止まって手を合わせ、お念仏を称えてみてくださいね。 (善)

(撮影:脇坂実希)