節分とは読んで字の如く
季節の分け目と言う言葉です。
立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日を季節の分け目、節分と言いました。
古来より季節の変わり目はいつもと違う事が起こったり、予期せぬ事に見舞われる事がある。また季節の変わり目は邪気が入りやすいと言う事から無病息災を祈り、平安時代の節分は厄除けと健康を願う読経、祈禱が行われる行事でありました。
一方で大晦日には新年を迎えるにあたって邪気を祓い清め、一年間の無病息災祈る追儺(ついな)と呼ばれる鬼祓いの儀式がありました。
当時の人は人智を超えた災害や自然現象を鬼の仕業と考え、鬼を祓う事で平穏無事に過ごせると信じられておりました。
南北朝時代には病疫を追い払う追儺の風習があり「鬼は外、福は内」と唱えながら豆打ちをしていたと言う記述があります。
また、鬼祓いに大豆が使われるのは
昔、京都の鞍馬の山奥に住んでいた鬼が都を荒らそうとした時、人々は鬼を退治するために、毘沙門天のお告げに従って3石3斗の豆を炒り、鬼の目に投げつけ、その結果鬼の目が潰れて人々は厄災を逃れることができたという逸話があり、古来より穀物には邪気、災厄を祓う力があると信じられており、魔除けの儀式では大豆が使われていました。
時代が移り変わり、また暦が変わり
元々は別々の行事であった旧暦の大晦日の追儺と立春前日の節分の行事が混ざることとなり、節分に豆をまいて鬼を追い払うという現在の2月3日の行事となりました。
また節分の鬼は仏教の五蓋に例えられております。即ち煩悩です。心に蓋をしている五つの煩悩を外し心穏やかに過ごせと説かれているのが五蓋の教えです。
赤鬼 貪欲 人間の欲望あらゆる邪気の象徴
青鬼 瞋恚 怒り憎しみ人間の憎悪の感情
黄鬼 掉挙 心の動揺や後悔する心、自己中心的な甘い心
緑鬼 惛沈 不健康、不摂生、やるべき事をせず眠ってばかりいる 人間の怠慢な心
黒鬼 疑 自分や他人を疑う心、人間の卑しい心
それぞれの色鬼に豆を打つ事でその煩悩に打ち勝つ事が出来ると言われております。
節分の日には、豆を打ち無病息災を祈ると共に手を合わせ、心の煩悩を取り除き、心穏やかにお過ごし頂きたいと願う次第です。(哲)
(撮影:脇坂実希)