万部法要

風薫る5月。

若葉が燃え上がるように山々を黄緑色に色付け、見る者の眼をくぎ付けにする季節。大念佛寺では毎年の恒例行事である「万部法要」が執り行われた。

今年は本堂改修工事のため来迎橋を渡すことができないため練り供養を行うことは叶わなかったが、特設舞台を設け、その上で菩薩の登場とともに声明や雅楽がひとつとなった法要が勤められた。

万部法要は中祖法明上人の時代(南北朝時代)に始まったとされる。

法明上人は極楽往生の様を目の当たりにしたいと、当時當麻寺で行われていた菩薩の練り供養を取り入れ、二十五菩薩の来迎の様を大念佛寺で再現なされたのである。

万部法要はその名の通り、「阿弥陀経」を一万部読誦する法要でもある。本来は十日間、百人の僧侶が一日十遍の阿弥陀経を読誦し、都合一万部の読誦をしたこととされる。

やがて時代とともに日数も減り、今では五日間となってはいるが、その心は決して変わることはない。

この期間中には境内に沢山の屋台や出店が並び、大人の我々であっても童心に還ってお参りを楽しむことができる。法明上人の生きた時代は治安が乱れた時代でもあり、また上人自身も朝廷を守る北面の武士の家柄でありながら、流行り病で妻と子を亡くしてしまうという悲劇を経験し出家を決意された経緯があり、世の中のどうすることもできない理不尽に苦しむ人々を救わんがために、大念佛寺において極楽世界を再現しようと考えられたのかも知れない。

その様に考えると、当時の人々の喜びは如何ばかりであったであろう。

時代は下り、令和の現在。

世界を見渡せば未だに戦火に苦しむ人々がおり、平和を享受するここ日本においても形を変えた様々な苦しみに喘ぐ人々は後を絶たない。

時代が変わっても人々の苦しみは何ら変わることはないのである。そして、こんな時代であるからこそ昔も今も、そしてこれから先もずっと世の人々の苦しみを除き、幸せの世界を見せ続けて行くために「万部法要」が行われていくのである。(善)

(撮影:脇坂実希)