厳かで、遠くまでとおる綺麗な声明が、本堂内に響き渡る。その声を聴いていると、まるで気持ちが洗われ、それまでの悩みや苦しみや悲しみ等が消え、清らかで静かな心が胸の奥に滲み出てくる。
仏教音律で節をつけて唱えるお経 声明が、日頃から研鑚している僧侶により厳かな旋律を奏でられ、その沢山の僧侶による声が参拝者全員を包み込み、参拝者は圧倒的な感動を覚える。
毎年2月26日 元祖聖應大師 良忍上人の御忌法要が執り行われる。
良忍上人は、私達融通念仏宗の教えを確立された方で、今でもその教えを引き継ぎ、守っていく事に感謝する法要である。
良忍上人は、平安時代末期のお方で、もともと尾州 知多郡 富田(とんだの)荘(しょう)(今の愛知県東海市)に生まれました。生まれつきの美声の持ち主で 幼名を音徳丸と名付けられました。小さい時から仏像や御堂を拝むのが好きだったと伝えられています。そして、沢山の人々を救いたいとの志しを持って、12歳で父母と別れて、比叡山に登り、仏道修行に励まれます。それから、厳しい修行と勉学に打ち込み、21歳で他の修行僧を指導する立場になられたとの事です。その後、比叡山の世俗化を嫌い、真の仏道を求めて、23歳の時に比叡山を去り大原の地で仏道修行に励まれました。又 当時は、色々な流派のあった声明を統一し、魚山流声明を確立されたのです。
それからも、さらに厳しい修行を自ら課し、やがて46歳の時にさとりを開かれ融通念仏宗を確立されました。
12歳でご両親と離れ、23歳で比叡山をあとにし、大原で長い年月修行をされた事は、並大抵な志しでは、出来ません。真の仏道をもとめ、沢山の人々を救うお心が無いと出来ません。
今、私達は、元祖良忍上人の教えを守り、真の仏道を求めて研鑚し、良忍上人の融通念佛を唱え続けなければなりません。
良忍上人御遠忌法要に声明を唱え、御念仏を唱え、その実践により良人上人の御心に触れ、この教えを未来へと継続していかなければなりません。良忍上人がいつまでも見守って頂くように、我々は、日頃から御念仏を唱えていくことで沢山の人々を救い、心に安寧をもたらすように励まなければならないのです。
(寿)
(撮影:脇坂実希)