お水取り

三月上旬、華厳宗大本山 東大寺二月堂では、お水取りの呼び名でも知られる「修二会」が執り行われます。

水取りや 籠り(こもり)の僧の 沓(くつ)のおと 松尾芭蕉

「籠りの僧」は「氷の僧」という説もあり、寒さの厳しい季節。「お水取りが終わると春が来る」これも関西でよく言われる言葉です。

日も落ちた静寂の中お松明が掲げられ、童子さんの足音が、ダンダンダンダンダンッと響きます。

有名なお松明は、練行衆とよばれる華厳宗の僧侶さまたちが暗い石段を登り二月堂へ入堂する際に、足もとを照らす灯りです。

お松明の炎をお見送りしましたら、それは終わりではなく、堂内での勤行の始まりです。鋭い寒さの中、勤行は深夜まで続きます。

1270回を超え、古より伝わる作法を連綿と受け継ぎ、戦国の世も太平洋戦争の中も、お堂が火事で焼けた際もコロナ禍も、一度も中止されたことがないという不退の行法。その修二会は、正式名称を「十一面悔過法要(じゅういちめん けかほうよう」といいます。参拝し観覧させていただく我々も、「悔過(けか)」の法要であるということを強く認識してお参りしたい。

悔過(けか)とは字の如く、過ぎたことを悔いること。自分の行いを見つめ、仏様の前で罪とがと向き合うこと。そうして清浄な心身を得て人々の幸福を願います。その悔過をわれわれ衆生を代表して行ってくださっているのが、悔過法要、東大寺さまでの修二会なのです。

我々は生きていく中で、善を積むことをする一方で罪をおかすこともしています。罪と知っていてする事もあれば、知らないうちにしている事もあります。

「私は悪いことしてないから関係ないかな」と言いたくなります。たしかに法律には反していないかもしれません。

しかし暮らしの中では、生き物の命を食べ物としていただき、生き物の生息場所を人間のものとして家を建てています。また人間同士でも相手を傷つけるような発言をしたりと、あげればきりがありません。

これらは、お金を払っているのだから、また法律に反していないからと気にしないで良いというものでしょうか。

われわれ衆生は、そうして罪を犯さないと生きていけない弱い身です。

日々の罪を見つめ、罪をおかしながらも今ここにいる有難さを喜び、皆の幸せを願います。また我々衆生を代表し厳しい行を行ってくださる練行衆や支える方々のありがたさ。

それらを一念に込めて、お松明を見上げ、お手を合わせようと思います。

南無観自在菩薩。南無阿弥陀仏。(清)

(撮影:脇坂実希)