この季節、朝露を大きな葉にとどめ、水面から「にょきッ」と顔を出している蓮華は、どこか孤高の気高さを纏っている。
朝まだ明けきらぬ時間、花は蕾を閉じたままじっと陽の光を待つ。
やがて太陽の出現とともに花は目覚め、神々しいまでの清らかな花びらを広げてゆく。
朝露のきらめきを受け、蓮華もまた穢れ無き花弁に光を纏いながら、今日一日を命一杯に咲き誇るのである。
人はみな蓮華の美しさに心を奪われる。
しかし、この花の本当の美しさはその足元にあると言ってもいいだろう。
蓮の根は誰もが知るところのあのレンコンである。
それはドロドロとした泥の中に埋まっており、咲き誇る花の姿からはおよそ想像もつかないくらいに穢れを想像させるものだ。
この根のいったい何処に、あの美しい花が隠されているのであろうか?
汚泥の中から一本の茎をのばし、水面から顔を出す時には誰もが真似のできない気品を漂わせ、私たちの眼を釘付けにする。
泥水を潜り抜けることで美しくなるのか、はたまた本来美しい花が泥水の中をその穢れに染まることなく水面に顔を出すのか?
いずれにせよ、水面下の泥が無ければ蓮華がここまで美しく感じられることは無かったであろう。
仏教において、蓮の花は特別の存在である。
“泥水を 潜りて清き 蓮の花”
世間の泥のような穢れを潜り抜け、美しく覚りの花を咲かせる御仏の姿が一輪の蓮華に重なって見えたとしても何の不思議もあるまい。
季節は間もなくお盆を迎える。
娑婆世界の中に美しく咲く蓮華の一輪一輪に御仏が宿り、ご先祖が宿り、その花を愛でる私たちの心の中にもまた一つ、仏の心が宿って行くことを願いたい。(善)
(撮影:脇坂実希)