謹賀新年

いつも融通歳時記をお読みいただき有難うございます。

令和7年のお正月が明け、新しい一年がスタートしました。

とはいっても、時の流れというものは連続したもので、決して途切れることはありません。

令和7年も、令和6年の続きであり、世の中がその流れの中で少しずつ変化をして移ろい行くことには変わりはないのです。

・・・ですが、人間というものは良いことは続いて欲しいと思いますが、悪いことは何処かで早く区切りをつけたいと思うもの。

そんな時に行うのが

「リセット」

人生にリセットが出来れば随分助かるのに・・・流石にそれだけは不可能な事。

じゃあ、せめて何処かで今の生活をリセット。

・・・ある意味、これが新年を迎えるということなのではないでしょうか?

新しい年を迎える・・・昨年はお正月から様々な天災や大事故も発生しました。その意味で昨年は負の一年だったようにも思います。

そして、「今年こそは!」・・・そんな思いも込めて今年がスタートしたのです。

新しく始まった令和7年。

嫌なことは早く忘れ、希望を持って今年をスタートしましょう。

嫌だったこと、辛かったこと、腹が立ったこと、色んな負の出来事を去年に一旦閉じ込めて、新しい気持ちで一年をスタートしましょう。

「明けまして おめでとう!」

長く暗いトンネルを抜け、輝く太陽を拝み、「ああ、これから新しい何かが始まる。希望を胸に歩いていこう。」

新しい第一歩を踏み出せるからこそ、「おめでとう」。

そして、そのスタートを切れたことが、「謹んで新年を賀す(祝う)」という事なのではないでしょうか。(善)

(撮影:脇坂実希)

忘年会

忘年会シーズンになりました。

最近では望年会と表記する事もあるようです。その年の捉え方が人によっていろいろだなと思える反面、忘れるということにマイナスのイメージもあるのかなと思うのです。

忘れられるというのは人間の持つ大きな能力の一つなのです。

全てのことを覚えているというのは脳に大きな負担がかかります。適度に記憶を整理して覚えている事と忘れて構わないことを自動で振り分ける能力というのは考えてみればすごいことだとわかります。

 

あるおうちの3回忌で80歳の夫を亡くした奥様がおっしゃいました。夫が亡くなってすぐの頃は腹の立つことばっかり思い出して写真に向かって一人怒ってましたが、最近では楽しかったことや嬉しかったことばかりが思い出されるんです。腹の立つことはそれ以上にたくさんあったはずなのに不思議なものですね。と。

私は忘れてしまうことは負の側面だけではないように思えるのです。

 

みなさまは今年1年を振り返ってみていかがだったでしょうか?(和)

(撮影:脇坂実希)

マラソン大会

あんなに暑い日が続いていたのに、気づけばもう師走。特にここ数日で朝晩は一段と寒くなりました。

実は、そんな寒さが逆にベストシーズンであるのがマラソン大会です。

私も沿道の景色を楽しみながらゆっくり走るマラソン好きの一人でして、先日12月8日に行われた奈良マラソン2024にエントリーしていたにもかかわらず、10月に体調を崩してしまったために、当日走ることが出来なくなってしまいました。

走りたいのに走られない。

走りたくないのに走らなければならない。

どちらも苦しいことですが、自分の身体が思うように動かせないとなると、その苦しみは倍増します。

歩いたり走ったり、こうして自分の思いを言葉にして書き記したりと、日常の生活に何不自由ない生活をしていると、それがあたかも普通であると考えてしまいがちになります。

病気やケガによって突然に身体の自由を奪われる事をどんなに注意しても、いつ自分に起こるはわかりません。生きていれば、常に危険と隣り合わせの毎日であることに、無関係な人は一人もいないのです。

 

私も病気のために、右側の手足が数日動かなくなる状況に追い込まれ、手を合わせるという簡単なことさえも、一時期できなくなりました。

入院してリハビリを行い、幸いにして普段の生活に支障ない程に回復しましたが、自分の意志で身体を動かせることや、自分の心を思い通りにコントロール出来ることは決して普通ではなく、本当にありがたいことなのだと感じることが出来ました。

お仏壇の前で正座をして手を合わせ「南無阿弥陀仏」と声に出してお称えすることが、どれだけ幸せなことか。

お仏壇とは、仏様やご先祖様のための場所だけではなく、今を生きている私たち自身が、普段何不自由なく身体や心を動かすことができる幸せを、仏様のお導きにより、全身を使って自ら確認出来る場所でもあるのです。

 

毎日百ぺんのお念仏をお称えするようにお勧め下さった元祖聖応大師良忍上人。

 

阿弥陀如来様から直々にお受けなされた妙偈は

「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行

十界一念 融通念仏 億百萬遍 决定往生」

手を合わせて居られるわずかな時間でも、その自由に身体を動かせる幸せに気付き、またその手足をしっかりと使い、周りの人々をも幸せに出来ることを気付かせてくださる教えを、なんと900年以上も前からお説きいただいているのです。

 

そういえば、今年は9月7日にスタートした「大和御回在」。

予定では来週12月17日の午後1時に大念佛寺への「御帰院」を迎え、全ての日程を終えることとなります。

マラソンに例えれば、今まさにラストスパート。

お迎えくださる末寺の檀信徒皆様をはじめ、御回在出仕の僧侶や供奉員皆様のお力添えを賜り、おかげさまで無事にゴールが迎えられそうです。

私は病のために5日間分の御回在への出仕を外れる事となってしまい、他の皆様に大変なご迷惑をおかけし、また皆様に助けてくださいました。

またしっかり体調を整えて、春の「河内御回在」への出仕と、今回助けてくださった皆様への御恩返しが出来るよう、気を引き締め直して精進致します。(洋)

(撮影:脇坂実希)

銀杏大

「あれが全部落ちてくるのか」とある老婦人が、

ほうきを片手にうえを見上げながら、

ため息をつかれたのを思い出します。

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孫生え(ひこばえ)

この季節になると田んぼの風景は実に殺風景になる。

ひと月ほど前はまだ金色に輝く稲穂が、重たげに垂れたその頭を風に揺らせていたのだが、気が付くとその稲穂はすっかり姿を消し、地面から毬栗頭のように刈り取られた後の稲の切り株が残るだけとなっている。

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秋の虫

秋の夜長に虫の声

耳を澄ませば、都会でも秋の虫の美しい声が聞ける季節になりました。

代表的なものではコオロギの仲間。

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