法話教室のお話ついでにもう一つ。
みんながよく言うことの中に、「話のネタがない」ということがあります。
長年布教師としてやって来て思うのですが、自分の身の回りには、何と沢山のネタにあふれていることか。
朝起きて服を着替え、顔を洗う… その程度の事の中にちゃんと「法」というものが隠れている。
テレビの野球中継を見ていても、法というものを説いていくことが出来ます。
要は気が付くかつかないかというだけの事。
昔、私の子供がまだ小学1年生だった頃の事、担任の先生が「幸せ見つけノート」なる宿題を毎日書かせておられました。
今日一日を振り返って、幸せだと思えたことをノートに箇条書きにして提出させるのです。
最初のころは、ひとつ見つけるだけでも随分考えていたのに、数か月もすればノートに数ページも書き込んで提出するようになりました。
「朝起きた、いつもより五分早起きができた。」
「学校で転んだけれど、泣かなかった。」
「ご飯が美味しかった。」
… 何気ない日常の一つ一つに、実は小さな幸せが沢山詰まっていることに気が付くようになる。
これと同じように、お話のタネも、日常生活の中にたくさん転がっているものなのです。
私たちに必要なことは、それに気づくことのできる眼と心を養っていくこと。
「運心観法(うんしんかんぼう)」
心を運んで法を観なさい… そう教えられるのです。