お盆

地蔵盆が終わりました

今年もお盆が終わりました

以前にも申し上げたように 私のお寺では地蔵盆は静かにお勤めをいたします

お参りに来られる方は その年に初盆を迎えられたお家の方がパラパラと来られるくらいで お勤めをしながら過ぎゆく夏をしみじみ感じられる法要です

兼務するお寺や 少し離れたところの自治会主催の地蔵盆にも寄せていただきましたが 普段なら賑やかな子供たちの声が聞こえるはずが こちらも昨年からはコロナの影響からか 随分と静かなお勤めとなってしまいました

さて今年も 私の村で何軒かの初盆のお家がありましたが 地蔵堂には切子灯篭が一対飾られました

各地でその風習は異なってくるとは思いますが 切子灯篭は初盆を迎えたお家の仏間に吊り下げられ いつものお盆以上に賑やかさが増します お浄土に往かれ 初めて帰ってこられるご先祖様を 賑やかにお迎えする一つの象徴のようなものですが 昨今の住宅事情からか切子灯篭を飾られるお家が少なくなってまいりました

その切子灯篭を地蔵盆にお寺に持ち寄って 地蔵堂を賑やかにお飾りするのです

一年に一度だけ地蔵堂が晴れやかに見える地蔵盆

それは大切な家族を亡くした方々が お浄土へと帰って行かれるご先祖様を静かに見送る大切なひと時でもあるのです

この風習は出来ることならずっと残していきたいものなのですが 果たしてこの先どうなっていくのでしょうか!?

お盆が過ぎ 一日が随分と短くなってきました まだ陽が昇る前や、夕暮れてからはカナカナカナ…と蜩の悲しそうな鳴き声が聞こえてきます

今年も無事に夏を越させていただきました

この先あと何回夏を過ごすことができるのか!?

仏様ならぬ身の知る由はありませんが 子供の頃からずっと感じてきた この時期のなんとも言えないノスタルジックでセンチメンタルな思いだけは大切にしていきたいものです

お盆が終わりました

長らくご無沙汰しておりました

忘れていた訳ではございません 年齢とともに一日の疲れ方が半端なくひどくなり とても落ち着いてつぶやこうという気力が湧いてこなかったのです

一日も早く楽隠居をしたいと思う今日この頃であります…

加えて今年は土砂降りの雨に悩まされ 全国のお坊様方は大変な時期を過ごされたのではないかと思います 全国のお坊様 お疲れさまでした

そして後になってしまいましたが 今回の豪雨により大きな被害を受けられた皆様には心よりお見舞い申し上げます

年々自然災害が大きくなり 今まで考えもしなかった災害が起こるようになってきました 私たちの子孫はこの災害とともに生きていかなければならないという 大変な人生を送らなければなりません 何とか被害を小さくしていくことができないのでしょうか!?

さてお盆ということもあり 今回はひとつ我が家で起こった不思議なお話をしようと思います

今夏は2月に亡くなった私の母親の初盆でもありました

寺族のお勤めはいつも後回しになります お盆の最終日である8月15日の午後3時からみんなが集まってお勤めをさせてもらいました

無事にお勤めも済み 本堂から下がってきたところで息子が一言

「さっきお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが来てたね」

私:「えっ?」

息子:「二人そろって本堂に入ってきて お祖父ちゃんは僕の横の座布団に座ってたよ お祖母ちゃんは祭壇の後ろに立ってこっちを向いてた」

私:「見えたんかい!いや来てたんかい!」

私の弟:「そういえば 以前お祖母ちゃんが夢に出てきて ちゃんとこっちでお祖父ちゃんに会えたって言ってたわ」

私:「私のところには二人とも一度も夢に出てきてくれないのに 見捨てられてるのかな?」

…そんな話をしていたのですが 実は私は両親が亡くなってからも不思議と淋しい思いをしたことがありません 何故かいつも私の周りをうろうろしてくれているような気がしてならないからです

人は死んでお終いではありません 生きている私たちには姿が見えなくても ご先祖様はちゃんと見守ってくれています

そして仏様を信じ 祈ってさえいれば必ず極楽という向こうの世界で懐かしい方たちと再び相見えることができるのです

阿弥陀経にも書いてありますよね 「倶会一処」

そう思えば少しも淋しくなんかないのです

もうすぐお盆ですね

暑い日が続いております。

先ほどまで車のディスプレイに表示された外気温は38度。

見ているだけでも頭がクラクラしてきます。

お寺に戻り、テレビをつけるとオリンピックがこれまた熱い戦いを中継しております。

そうしてまもなく僧侶の私には暑い熱いお盆がやってまいります。

年々歳を重ねるたびに「今年の夏は越せるのだろうか?」という思いが大きくなってきました。

一昨年、師匠である父が亡くなり、今年は母親もお浄土へと旅立ちました。

両親の姿を思い起こすことが増えるたび、師匠である父が80歳を越してなおお盆のお参りに汗かきながら歩いていた姿が眼に浮かんできます。

歳老いてなお厳しい日差しの中を黙々と歩き、一軒一軒お勤めをしてゆく姿は、ただただ頭が下がります。

お互いに反対方向に向かってお参りを始め、村の中の何処かで顔を合わせればそれでお終い。

長い直線通りの向こうからニコニコしながら歩いてくる父の顔を見るたび、「この暑い中、何がそんなに嬉しいのだろう?」・・・そんなことを思いながらお参りを終えていたのが、最近になってその意味がやっと分かってきました。

父が私の姿を見つけて、「暑い中のお参りがやっと終われる」という安堵感。そしてもう息子に頼ってもいいのだという、人生の中での安堵感。

この二つの安堵感が、父をしてあれほどまでに笑顔たらしめていたのでしょう。

そんな意味で少しは親に孝行をできていたのかも知れません。

ある方が仰いました。「親孝行とは何ぞ?・・・それは親に心配をかけないことである。」

わが子を心配しない親はいないと思います。順風の時も逆風の時もその時々に心配をする。だからこそ親孝行は難しいのです。

子供の立場からすれば、せめてひと時であれ安心、安堵を与えてあげることが親孝行なのではないでしょうか。

今年も間もなくお盆がやってきます。ご両親がまだまだ元気でいらっしゃる方、寂しくももう既にお亡くなりになられた方、ご本人の前で、そしてお仏壇の前で安堵感を与えてあげてください。

そして私も早く安堵感が欲しい。

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