本日はサミットにより…

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お参りを中止いたしました。 …もとい、違う日にお参りを振り分けて、G20開催中はお寺にじっとしていることに致しました。
とは言え、お寺でじっとしていることはできません。
外で庭掃除… 朝から雨で、これも不可!
今はこれを書いています。

久し振りに今日は家族がみんな外出しており、心静かにお勉強が出来そうです。
ここでふと思ったのですが、我が家の飼い猫サクラは朝から自分の寝床で丸まって寝ています。
寝ているか、餌を食べているか、外に遊びに出ているか、毎日がこのローテーション!

「今日はサミットだから…」などと謂っても「我関せず」
猫にはネコの生きる道があるのですね。
この姿を見ていると、「何と自由闊達に生きているのだ。」と感心してしまいます。
猫にもネコの社会があるのでしょうが、人間ほどは「とらわれなく」生きているように思えます。

人はみな、何がしかの社会的縛りの中で生きています。たとえ僧侶であっても、師匠と弟子、あるいは宗派の中における役職といったものがその人を縛り、身動きがしにくくなってしまっているように思えます。

「捨ててこそ!」
これは、昔ある僧侶が仰った言葉であります。
人間は本来無一物。母親のお腹から「おぎゃあ~。」と生まれてきたときは、何も持たず、何もまとわずにいたものです。眼もはっきりと見えずに不安の中で、何かをつかもうと手を伸ばした時に「苦」が始まったと言われます。

今まで生きてきた人生で、掴んで離さずにいたものを「執着」と言い、それを捨てて身軽になることで、心の自由が得られるのなら、これが本当の解脱なのかも知れません。

とは言ったものの、それが出来ないから、こうして人間をやっているのです。
今までどれほど多くのものを掴んできたのか、それを手放すことは容易な事ではありません。

雨の大原

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先日(6月21日)、京都は大原へ、元祖聖応大師良忍上人様のお墓参りに寄せていただきました。
御廟があるのは、三千院の横を少し上った来迎院。本堂の横を過ぎて石畳を行くと、三重の石積みの御廟が杉木立の中にひっそりと佇んでいます。

時刻は午後三時を回ったあたり、布教師会の皆さんと手を合わせていますと、近くで雷鳴が聞こえてきました。
空は今にも大粒の雨が落ちてきそうです。
「そういえば、今朝の天気予報で山沿いでにわか雨が降るとか言っていたような…」
案の定、お墓参りを済ませ、来迎院の本堂でお勤めをしている最中に、とうとう降り出して来ました。
激しい降りの為に外に出ることもできず、薄暗くなった本堂の中から外を眺めていると、近くの山の斜面に霧が立ち込め、騒々しいはずの雷や雨音までが、森閑とした景色に溶け込んで、あたかも神仙の世界が広がっているような錯覚を覚えました。

「確かにここには仏様がいらっしゃる。」

不思議な霊気のようなものの存在がありました。
九百年の昔、良忍御上人がこの地に移り修行に励まれたのも分かる気がいたします。
残念ながら今の私は、深山幽谷の地に独り住まいするなどということはできません。どうしても人恋しくなってしまうだろうからです。

「修行が足らない!」
そう言われてしまえばお終いですが、それでもたまにこの様な体験をするのは、世塵に汚れた自分の心を洗い清める良い機会。

激しい雨音に、滝に打たれる己の心を観ていました。

何故か…ゴジラ

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今、私はお盆のお参りに必要な、経木塔婆を書いています。
これは、お盆にお参りに寄せていただく家々のご先祖様の戒名をお塔婆に記し、お仏壇に祀っていただくのですが、枚数が千枚近くになるのです。

大変です。
聞くところによりますと、昔から経木塔婆を書かない土地もあるようで、羨ましい限りです。
数が多いので、もちろん一気に書き上げることは不可能で、何日にも分けて書いていきます。
というのも、腰と肩と眼に負担がかかり、とりわけ老眼が進んでからというもの疲れ方が半端ありません。
そしてこれを書いていますと、細かい木くずが出ます。机の上を汚したくないので、いつも古新聞を机上にひいて、その上で書いていきます。
何日も何日も同じ古新聞を広げて書いていますと、頭の中に新聞紙の記事が刷り込まれていきます。今年の古新聞は、一面ハリウッド版ゴジラの映画広告。

…ゴジラ!

「ちょっと映画を見に行ってきます。」
家内にそう告げて向かった先は映画館。
何十年ぶりかのゴジラを見てきました。…この歳で。
それでも、映画館の大画面で見るゴジラは迫力がありました。荒唐無稽なストーリーではありますが、まあ怪獣映画というものはそもそもこれが当たり前なので、むしろ娯楽映画としては十分に楽しめました。
嬉しかったのは、あの渡辺謙が芹沢博士役(一番最初のゴジラで、オキシゲンデストロイヤーなる秘密兵器でゴジラを葬った科学者)で出演しており、しかも彼だけは「GODZILLA」と発音せずに「ゴジラ」と日本語で呼んでいるところが、日本人としてのゴジラへの思いが込められていて、共感を覚えました。
こんなことを書いていると、オタクと間違われるかも知れませんが、あくまで普通のオジサンです。

それはさて置き、この様な娯楽映画でも勉強になることがあります。
それは、ストーリー展開の上手さ。観客を飽きさせず、ストーリーの中に引きずり込むテクニックというものは、私たち布教師にとっても原稿の構成や、話術に参考になるところがあります。
そんな意味では、布教師というものは、どんなところにも観察眼を向けているものなのですね。
出演者の表情や言葉、細かい演技に至るまで、その人物の心の中をついつい覗こうとしている自分がいます。
長い間に身についた習性なのでしょうか。

それにしても、恐るべし、新聞広告!
…と、言うところで、塔婆書きに戻ります。
またしても取り留めのない「つぶやき」になってしまいました。すみません!

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