油揚げ LOVE

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今まであまり触れてはこなかったのですが、私は油揚げ(薄揚げ)が大好きです。

もちろん、こだわりがあります。・・・と、言うよりもかなり味にうるさいです。

朝食で、焼いた薄揚げが二枚もあればその日は最高の気分でスタートが切れます。

ただ、今まで私の舌に合格したお店は僅か4軒。

元々私の母親の実家の近くにあった豆腐店の味が私にとっての最高の味で、わざわざ大阪まで50枚単位で送ってもらっておりました。

残念なことに、ここの御主人が病に倒れられ、跡継ぎが無かったためお店をたたまれたのですが、その時はわざわざお手紙までいただきました。

「どんだけ食べとるねん!」と、突っ込みを入れられそうですが、困ったのはその後のこと。

このお店の味に匹敵するだけの油揚げがなかなか見つからなかったのです。

色々と探し求めたのですが、何年もかかって、ようやく数軒が見つかりました。

最近はさすがにまとめて送ってもらうことは少なくなりましたが、先日久しぶりにまとめ買いを致しました。

それはこの間寄せていただいた岐阜県は高山市でのこと。

早めに宿に着いたので、一人街中に出てお気に入りの豆腐屋さんに。

コロナ禍のため、観光客はパラパラ。開いているお店もあったのですが、それでも他のお店には見向きもせず一直線。

飛騨牛か油揚げか?

私は油揚げ!

それはさておき、油揚げといえば大豆にお水、そして揚げる時の油。

焼いた油揚げを口に入れた時にジュワッと広がる昔ながらの味がなんとも言えない幸福感を与えてくれます。

料理に手間がかかることもなく、しかも郷愁すら感じさせてくれる品というのは、現代のカップ麺や冷凍食品には決して真似のできないものであります。

これは決して今のインスタント食品がダメだということではなく、シンプルでチープなものの中にも素晴らしいものが有るのだと気付いて欲しいのです。

昔ながらの製法にこだわった食べ物が少なくなっている今こそ、この貴重なお店にもっともっと頑張ってもらいたいと思います。

お願いだからお店が無くならないでくださいね!

油揚げ 命。

・・・と、言うわけで、しばらくはご機嫌な毎日を過ごせそうです。

日和田に行ってきました

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今月2、3日と岐阜県高山市の日和田というところへ行って参りました。

融通念仏宗の方ならご存知の方も多いかと思いますが、野麦峠のすぐ近く、山また山の本当に山奥にある日和田集落に融通念仏が伝わっており、もう随分前になりますがこの地に「融通念仏伝承地」という石碑が建てられました。

日和田では昔、大雪の時期にお葬式ができた時には、麓からお坊さんが来られず、集落の人たちで融通念仏を称えて弔いをしたといいます。

私のお説教の師匠であった山本静章師が初めてこの地を訪ねられ、その後細々と交流が続いてきたのですが、この度石碑の周囲の土地を本山に寄進していただくこととなり、正式にその手続きが終了したことを受けて、本山から田中宗務総長、好野庶務部長、佐々木財務部長に私が加わり、日和田の地まで御礼を兼ねてご挨拶に行って参りました。

少し雨模様だったのですが、山深いところに石碑が建ち、それを日和田の方々が長い間お守りしてくださっていたのは本当に有難いことです。

この日和田の皆さんが、初めて本山大念佛寺にお参りくださったのは、確か大阪で花博が催されていた時であったと記憶しています。

5月の万部法要に日和田融通念仏を奉納してくださったのですが、そのあとの懇親会で、当時布教師会で一番若手であった私が日和田の皆さんにお酌をして回った記憶があります。

その時のことをお話しすると、皆さん大変驚いておられました。

あれから30年以上の月日が流れ、主だった方々は皆鬼籍に入られ、布教師会でも、日和田でもその時のことを覚えておられる方は随分少なくなってしまいました。

大切なことは、この交流をたとえお互いに遠く離れたところにあっても末永く続けていくこと。

コロナという如何ともしがたい壁はあっても、融通念仏のつながりを深めていくことが私たちの務めであり、これからの若い布教師の皆さんにも是非お願いしたいと思います。

雨に霞む山々を眺め、布教師会の先輩方が結ばれた絆を再確認させていただき、思いを新たにして帰途に就いたのでありました。

お墓参り

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お盆の一連の行事が終わり、ようやくホッとする日が続いています。

先日、お盆の間に行けなかった両親の里のお墓参りに行って参りました。

私の両親はどちらも滋賀県は長浜市の出身で、親戚のほとんどが長浜近郊に住んでおります。

長浜からいったいどのような経緯で大阪のしかも融通念仏宗の僧侶になり、お寺に入ったのか?

その経緯は私自身全て知っているわけではありません。師匠であった父があまり自身のことに触れることがなかったせいなのか、私があまり父親の生い立ちについて尋ねなかったせいなのか、今となってはもっと聞いておけばよかったと後悔しています。

ただ、いつも思うことは、これも「仏様に導かれるようにお寺に入った」ということでしょう。

8月末、残暑が厳しい中、車を走らせてたどり着いたお墓は、お盆にお供えされたのであろうお花を残し、その他のお墓とともに厳しい日差しの中でひっそりと佇んでいました。

父方のお墓には私が会ったこともない祖父母が眠り、母方のお墓にはかろうじて記憶に残る祖父母が眠っています。

枯れてしまったお花を抜いて新しい花をお供えする。

「爺さん婆さん、今年も来ましたよ。そっちの世界では、自分たちの子である私の両親とちゃんと会えましたか?」

・・・手を合わせながらそんなことを心の中で話しかけてみました。

僧侶として、檀家様のお墓でお勤めする時はこんなことを考えることは無いのですが、一私人であるこの時だけは色々なことを話しかけてみます。

不思議なもので、その時だけはお墓の周りに祖父母が現れて、私の独り言を聞いてくれているような気持になります。

冷たい石でしかないお墓が、その時だけは何故か暖かく感じられるのも不思議です。

お盆が過ぎ、誰もいなくなったお墓に一人佇んで心の中で話しかけてみます。

しばし瞑目の後、「ではまた来年!お盆が明けたら会いに来ます。」

大阪と長浜、それほど遠い距離ではないものの、お墓参りとなるとなかなか行き辛い距離。七夕ならぬ、年に一度のお墓参りは私にとって両親がまだ幼かった昔に会える大切な行事なのです。

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