良き別れ

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先日、テレビを見ていて素敵なシーンに出会いました。

ちょうど撮影された季節は、3月の終わりだろうと思います。

鹿児島県の甑島(こしきじま)の港を離れていくフェリーに向かって、「先生ありがとうございました!」と書かれた横断幕を持った中学生ぐらいの生徒たちが、去り行く恩師に向かって手を振って別れを惜しんでいるのです。

 

「なんと素晴らしい別れだろう!」

思わず感動してしまいました。

振り返って、自分の記憶をたどれば、恩師とこのような別れをしたという記憶は全くないことに愕然としてしまいました。

大抵が、新年度の始業式に「だれそれ先生が転任なさいました。」という報告を受けるだけで、改めて別れを惜しむといったことは無かったように思います。

そこで気付いたのですが、「人は良き出会いを求めることはあっても、良き別れを求めることは少ない」ということ。

本来、最初から良き出会いなどというものはありません。一つの出会い、一つのご縁を大切に育てて行くことによって、はじめて良き出会いとなるのです。

そして、良き出会いと出来たからこそ、良き別れが出来るのです。

 

「会者定離」

出会いがあれば、必ず別れがある。

その別れの時に心から「素晴らしい出会いをありがとう!」と言える人生こそ、本当に豊かで幸せな人生なのではないでしょうか!?

 

ほどほど…ということ

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私のお寺の窓から、遠くに「ほどほど」と書かれた看板が見えます。

私は行ったことがないのですが、どうやら喫茶店の名前らしいのです。

名前に「ほどほど」などと付けるくらいですから、「あんまりコーヒー一杯で長居をしちゃだめですよ。」…といった具合に、お客さんに入店前に釘を刺しているのかな?とか考えてしまうのですが、ネーミングとしては面白いと思います。

 

この「ほどほど」という言葉は、実に微妙なニュアンスで、物事に対する私たちのあり方を正してくれていると思うのです。

右にも左にも偏らない、言わば絶妙の立ち位置がこの「ほどほど」なのです。

その昔、お釈迦様が「中道」ということを説かれましたが、これがまさに「ほどほど」ということ。

怠惰な生活を続けることは良くない事ではありますが、だからと言って、自分の体を蝕んでしまうような厳しい修行を続けることもまた、良くはありません。

 

これは仏道に限らず、会社組織の中でも、学校の中でも、同じではないでしょうか?

車のハンドルにさえ遊びがあります。遊びがなければ、車の運転はものすごく緊張を強いられるものになるでしょう。

 

私がこんなことをつぶやいているのは、実はこの春から新しいスタートを切った方々に、「無理はしなくていいんだよ、適当なところで、息抜きも大切なんだよ。」…そう言いたかったからなのです。

白でも黒でもない、グレーゾーンをいかに持つか。そしてそのグレーゾーンの中で如何に自分を保つか?

頭の中のどこかに、この「ほどほど」という言葉を常に置いておいてください。

 

桜の季節に

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今年も桜の季節がやってきました

この冬は例年に無く寒い冬で、日本海側ではかなりの雪が積もったというのに、これまた例年より早く、桜が満開となりました

 

人間とは面白いもので、桜が満開になれば寒かった冬を忘れたかのように、お花見の宴が開かれ、花とお酒に酔いしれてしまいます

 

しかし、桜が何よりも美しく見えるのは、私たち自身があの暗く寒い冬を潜り抜けてきたからなのではないでしょうか

寒さに凍える冬があるからこそ、春の暖かさの喜びを知ることが出来るのです

 

およそ人の世も同じでしょう

人生には山もあれば谷もあります。晴れた日もあれば、土砂降りの日もあります

雨宿りしたくとも一本の木もなく、雨をしのぐ傘もない。ずぶ濡れで冷え切った体を温めてくれるものさえない

希望の光が見えない中で、すべてを投げ出してしまいたくなる…

 

そんな時こそ、私たちは歩みを止めてはいけないのです

辛いとき、苦しいとき、しっかりと足元を踏みしめて歩いていきなさい。歩いてゆけば、いつの日か必ず光の下に立つことが出来る

長年僧侶をしておりますと、不思議なくらいに、そんな姿を見て参ります。

幸せというものは長く続くことはありません。その代わり、不幸せもいつまでも続くものではないのです

浮かれた季節の中で、自分の足下をしっかりとみて歩いていきたいものです。

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