先日、布教師会がお付き合いをいただいている西山浄土宗のご本山、光明寺(長岡京市)において、布教師の研修会がありました。
平成十三年から参加させていただいており、布教の実演も八年前からさせていただいています。
他宗派との交流、とりわけ布教の実演をするということは、剣道でいうところの他流試合。聞く側も、話す側も緊張の中での研修となります。
この間、十分間の休憩をはさんで二時間三十分。畳の上でじっと正座。
当たり前のように書いていますが、これが結構辛い!
長年お坊さんをやっていますと、足が痺れるようなことはまず無いのですが、体の重みからくる筋肉の痛み、足の甲の痛みはかなりきついものがあります。
そして、ここから我慢大会が始まるのです。
周りの人たちの様子をさり気なく見ながらも、自分自身は会長という立場上微動だにするわけにもいきません。背筋を伸ばし、涼しげな顔で実演をされている方をじっと見て、メモを取る。
実演はなかなか上達できませんが、やせ我慢だけはお陰様でできるようになりました。
研修会とはいえ、この場は真剣勝負の場です。大勢の布教師を前にして、緊張の極致で話をされている方に対して、胡坐をかいて背中が曲がった状態で話を聴く。それがどれ程の失礼であるのか。
逆に、最後まで姿勢を崩さずに美しい姿でいること自体が、話さずとも無言の説法になっていること。
そう考えると、僧侶というものは「立ち居振る舞いすべてが説法になっていなければいけない」ということになります。僧侶である私たちは、常に観られているということを意識して、襟を正して生活をしていかねばなりません。
そして、それがなかなかできない私は、今日もやせ我慢を続けます。