夏の早朝や夕暮れ時に、私のお寺のすぐ近くの山から
「カナカナカナ…」
という、もの悲しい声が聞こえてきました。
言わずと知れた“ヒグラシ”の声。
子供の頃は、この鳴き声を聞くだけで「長い夏休みが終わりやぁ…」と思っては、浮かれていた心に、何となく淋しさが込み上げてきたものでした。
都会ではクマゼミのやかましい声を耳にしても、ヒグラシの鳴き声が聞こえることはありません。
はるか遠くに過ぎ去った少年の日の思い出の中で、そっと鳴いてくれているだけなのでしょうか?!
季節の移り変わりには、人の心を動かす何かがあるように思います。
冬から春にかけては、何かしら希望めいたものが。
春から夏には、どこか浮かれたものが。
夏から秋にかけては淋しさが。
そして秋から冬には、どこかしら覚悟めいたものが。
時の移り変わり、季節の移り変わり は、ときに「見てはいるけど観えていない」事柄に気づかせてくれることがあります。これは人の眼を現実へと向けさせるもので、諸行無常の世を実感させるものであります。
「カナカナカナ…」という鳴き声ひとつに、仏の声を聴く。
まだまだ真夏の空を見上げ、かなり早い秋の到来を実感している今日この頃です。