2018年 12月 の投稿一覧

ああ、花の應援團!

すみません、年末にもう一つ。

以前に書いたように、うちの長男は大学の應援團吹奏楽部に入っておりました。

実は、先日クリスマス直前に、息子の大学最後のイベントに行ってきました。

その應援團の最後のパフォーマンスが京都にて行われました。

最後だというので、私も昼からスケジュールをあけて、息子の最後の晴れ舞台を見に行ってまいりました。

そもそも應援團は、指導部、吹奏楽部、チアリーディング部の三つからなり、それぞれ厳しい練習とそこから生まれる強い団結が、大学の誇りとなっています。

息子の應援團も今年一年頑張ってきましたが、4回生としての最後のパフォーマンスが先日大学内のホールで行われたのです。

率直に感想を述べますと、この4年間の息子の生活は、本当にうらやましいくらいに充実したもので、親として、この大学のこのクラブに入って本当に良かったと思っています。・・・すみません、かなり親バカが入っています。

しかし、今の時代、これほどの充実感をもって4年間の大学生活を送っている学生は少ないのではないのでしょうか?

恥ずかしながら、私自身がこれほどの充実感をもって学生生活を過ごしたか?と問われれば、否!と答えざるを得ません。

それは、現在の私たちの普段の生活においても、「いかに充実した時間を過ごせるか?いかに自分を賭けて力一杯の日々を過ごしているか?」ということに繋がっていると思います。

“今のこの一瞬に命を懸ける!”

こんな人生が、本当に悔いのない人生と言えるのでしょうね。

しかし、最初に聞いた太鼓の音だけは、太鼓の皮が破れるのではないかと思うくらいに驚きました。あれが魂の一打なんですね!


今年も押し迫ってきました

いつも「会長のつぶやき」をお読みいただき誠に有り難うございます。

平成30年ももう残り少なくなって参りました。折角なので、ここで私のお寺の年越しをご紹介いたします。

12月ともなりますと、師走と呼ばれるようにお坊様は忙しくなります。と、言うよりも気分的に慌しくなります。私のお寺では12月にも法要があり、それと並行して、ご本山の「御回在」という行事の唱導師として、何日かご本尊様のお供をさせていただきます。

この御回在の最終日「御帰院」が、12月17日。もちろんこの日は、会長が唱導師を務めなくてはなりません。

これが済んで、やっと自坊の法務に本格復帰。年賀状はクリスマスが終わった頃から、数日間半分徹夜で書き上げます。

最近はパソコンで宛名までを印刷される方が増えましたが、私はせめて宛名だけは毛筆に拘りたいと、一枚ずつ手作業です。

30日には、早朝からお餅つき。 本堂にお供えする鏡餅や、お正月にいただく小餅を拵え、その後から本堂や地蔵堂などの大掃除と、お正月バージョンの飾りつけを31日にかけて行います。

30日頃から、檀家の方々が、自宅で作った鏡餅や、お米、もち米等をお持ち下さり、それを本堂の正面にお供えしていきます。

31日は朝から檀家役員の方々が、除夜の鐘の準備にお越し下さり、照明などをセッティングして下さいます。

私は元日にお年賀に来られる方の為、昔から使っている一人用火鉢を並べ、炭の準備をしておきます。

そう言えば、暖房に火鉢を使うようなお宅は本当に無くなりましたね。 私のお寺でも一年でお正月だけになりました。炭のいこし方(火の付け方)も家族で私しか知りません。息子たちにはこの技(?)を伝えておかねばと思っています。

夜10時半位から、役員の方々が集まって来られ、お参りの方々にふるまう甘酒を準備。

除夜の鐘は11時40分頃から打ちだすのですが、早い方は11時ころから並んでおられます。

撤収は大体日が変わって午前2時位となります。役員の方々が帰られたら、本堂に上がって一時間ほどのお勤め。3時過ぎにやっとお布団に入ります。

・・・と、思ったら5時には起床。火鉢に火を入れ、本堂のお茶を変えて、顔を洗ってからさらに1時間弱のお勤め。

7時をまわるとぼちぼちとお年始の挨拶にお客様が来られます。朦朧とする頭で、お相手をして、お昼過ぎに本堂から降りて、やっと家族と新年の挨拶、そしてお屠蘇とお雑煮を頂き、布団に入って撃沈!

最近特に思うのですが、こんな年越しを一体あと何年続けられるのだろう?

今の私の切なる願いは、・・・楽隠居!

1日も早く住職という立場をバトンタッチしたいと願う今日この頃です。


一斉に

先日のことです。奈良県のとあるお寺でお話を始めた時のこと

ちょうど始めてから五分くらい経ったころに 本堂中に緊急地震速報が鳴り出しました

普段こういった場所では 携帯電話はマナーモードにされているものですが 緊急地震速報だけは そんなことお構いなしに 大きな音で危険を知らせてくれます

ただ やはり時と場所を選んでほしいもので 「さあ これからお話の本題に入っていこうか…」というところで 本堂の中にいる人たち全員の携帯が一斉に鳴り出すと(私を含めて) これはもう収拾がつかなくなってしまいます

確かに揺れはしたものの大したほどのものではなく すぐに収まりはしたのですが 本当の意味でのざわつきがその後に待っていました

まず数人の僧侶が 「大丈夫ですか?」などと横から声をかけてくる

「大丈夫、話が始まったところだから、邪魔をしないで下がっていて。」

そう声をかけて下がってもらったところに、お参りの皆さんが、皆一斉に携帯電話を取り出し、自宅に電話をかけ始めました。

揚げ句に「ちょっと家が心配だから 戻ってきますわ」などと 数人がいそいそと本堂から退出する始末

「もう揺れも収まったから大丈夫ですよ」と言ってはみるものの どなたも聞いて下さってません

何とか静けさを取り戻したのはそれから10分ほど経ったときでしょうか

つくづく「人間とは心の定まらない生き物であるな」と考えさせられました

「身はここに 心は信濃の善光寺」

ほんの些細な出来事で 体はお寺の本堂にありながら 心は自宅に舞い戻っているのですから…

私たちの心とは それほどに自由気ままに動き回るものなのです

そして それだけに自分の心をしっかりと捕まえて行くことが 修行だと言えるのです

12月は言わずと知れた「師走月」

心が定まらないと思わぬところで‘へま’をするかもしれません

皆さん くれぐれも心に用心をしてお過ごし下さいね

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