2021年 3月 の投稿一覧

桜の季節になりました

良い季節になりました

私のお寺の下は桜並木になっていて きれいな桜が満開です

それに加えて 玄関横に置いてあるプランターには 今年も色とりどりのチューリップが満開です

春は良いですね

花粉症さえ無ければ 思いっきり桜の木の下で深呼吸をしたい気分です

実は3月最後の土日に 一人で車を飛ばして信州は飯田市のほうへ行って参りました

少し雨模様でしたが 元善光寺のすぐ近くには 「舞台桜」や「石塚桜」といった 桜の巨木がほぼ満開状態でした

いくつかのお寺を参拝しながら 次の原稿のネタを探してあちらこちらとさ迷ったのですが そのお話はいずれまた

さてこの時期になりますと お寺の下の桜並木には 普段以上に桜を愛でながらそぞろ歩く人が増えます

中にはおにぎり持参で 木の根元に座り込んで花見でピクニック気分を味わう方もいらっしゃいます

そこでふと思うのですが 桜を愛でるのに一番適した場所は何処なのでしょう!?

私が思うに 桜の木の下ではなく 桜をたくさん見渡せるような場所が一番なのではないでしょうか!?

少し意味合いは違いますが 「木を見て森を見ず」という言葉があります 一本一本の桜を見るよりは全体として眺めたほうが より奇麗に見えるのではないかと思うのです

もちろん桜の愛で方は人それぞれ やっぱり木の真下がいいと仰る方もおられるでしょう

ただ私が申し上げたいのは うちのお寺の前には石段があり ここに腰かけて眺める桜がなんとも奇麗なんです

遠慮をして石段を登ってこられない方ばかりなんですが もしこれを読んでおられる方がいらっしゃれば 是非遠慮せずにお上がり下さい お寺の境内から眺める桜並木の美しさはまた格別なものですよ

奥歯が抜けました

数日前のこと 檀家様のお茶菓子にいただいた醤油せんべいを噛んだところ 奥歯が傾いてしまいました

「んっ!!」

その時は何とか誤魔化して帰ってきたのですが その夜から食事を取るのにもかなりの苦労をする始末

意を決して翌日 歯科医の友人のところに電話してすぐに診てもらいました

友人曰く「もう処置するには方法は一つやな」

私「やっぱりダメ!?」

友人「そら よく持ったほうでしょ」

渦中の奥歯とは私の口の中に残った ただ一つの乳歯だったのです

私が生まれた時からずっと 一緒に生活してきた歯が無くなることは とても寂しいことなのですが これも止むを得ないこと

ふつうは小学生くらいの時に生え変わるはずの奥歯が 一本だけ永久歯が無かったため そのまま生え変わることなく 60年もの間 私の口の中に存在し続けていたのです

上手くすれば死ぬまで乳歯を使い続けられるかと思っていたのですが やはり寿命が来たというものなのでしょう

結局その日に抜歯してもらい 後日治療をすることになりました

それにしても よくもまあ60年もの間よく持ったものです

先月還暦の誕生日を迎え それと前後して最後に残った乳歯も定年退職となった次第 ここまで丈夫な歯に生んでくれた親に感謝です

で… 今は歯の抜けた跡がなんとも言えない状態です 食事の時も反対側の歯で噛まなくてはならず つくづく「あるべきものが有るべきところにある」という有難さを実感しているところです

“歯が抜けて 初めて噛み締める”

という言葉があります。

有るべきものがちゃんとそこに在るという有難さは なくなった時に初めて気づくものなのですね

私たちは「あたりまえ」という奇跡にどれだけ感謝しているでしょう

一本の永久歯が無かったために本来無くなっているはずの乳歯が ずっと私の口の中で永久歯の代わりをしてくれていたという事実に 素直に「ありがとう」の気持ちを持ったのでした

雲は嶺頭にありて閑不徹

昨夜からの雨が昼前に上がったものの いまだに低く垂れこめたようになっています

3月8日の正午まえ 早めにお参りが終わり車を走らせて自坊まで帰る途中 ふと生駒山系に目をやると 丁度白い雲が山脈を越えていくように山頂部分を覆っていました

私はこの光景が大好きです

よく見れば 薄い霧のようなものが山肌の谷に当たる部分から尾根伝いに少しづつ上昇しており その部分だけを切り取ってみれば 深山幽谷の中に入り込んだような錯覚に陥ります

降り続いた雨が上がるということは やがて太陽が雲間から姿を現し 自分の居るところを明るく照らし出していくということ

深く垂れこめていた霧が晴れ 遠くまで視界が利くようになるということ

一人一人の人生にあって およそ雨の降らないことはまずありません 土砂降りの雨や防風雨だって時もあるでしょう

それでも雨が止むときはかならずやってきます 霧が晴れて嘘のように見通しが利くようになり 雨で洗われた景色が 今まで以上に美しく目に映ることがあるはずです

そんな時 私はいつも山頂にかかった白い雲のような心でいたいと思うのです

雲は嶺頭にありて閑不徹

「閑不徹」とは限りない静けさと言えばよいでしょうか 悟りの境地を現した言葉です

季節は冬から春へ… ひと雨ごとに寒さが薄れ 木々の芽吹きが進みます

寒い冬を越す度に 光あふれる春が来る喜びをかみしめ 心は嶺頭の白雲のように閑不徹

「静かに静かに それでいて不動の境地に安住していたいのです」と ここまで書いて ふと自己反省 残念ながらまだまだ私には遥かに遠い境地です

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