2021年 8月 の投稿一覧

お墓参り

お盆の一連の行事が終わり、ようやくホッとする日が続いています。

先日、お盆の間に行けなかった両親の里のお墓参りに行って参りました。

私の両親はどちらも滋賀県は長浜市の出身で、親戚のほとんどが長浜近郊に住んでおります。

長浜からいったいどのような経緯で大阪のしかも融通念仏宗の僧侶になり、お寺に入ったのか?

その経緯は私自身全て知っているわけではありません。師匠であった父があまり自身のことに触れることがなかったせいなのか、私があまり父親の生い立ちについて尋ねなかったせいなのか、今となってはもっと聞いておけばよかったと後悔しています。

ただ、いつも思うことは、これも「仏様に導かれるようにお寺に入った」ということでしょう。

8月末、残暑が厳しい中、車を走らせてたどり着いたお墓は、お盆にお供えされたのであろうお花を残し、その他のお墓とともに厳しい日差しの中でひっそりと佇んでいました。

父方のお墓には私が会ったこともない祖父母が眠り、母方のお墓にはかろうじて記憶に残る祖父母が眠っています。

枯れてしまったお花を抜いて新しい花をお供えする。

「爺さん婆さん、今年も来ましたよ。そっちの世界では、自分たちの子である私の両親とちゃんと会えましたか?」

・・・手を合わせながらそんなことを心の中で話しかけてみました。

僧侶として、檀家様のお墓でお勤めする時はこんなことを考えることは無いのですが、一私人であるこの時だけは色々なことを話しかけてみます。

不思議なもので、その時だけはお墓の周りに祖父母が現れて、私の独り言を聞いてくれているような気持になります。

冷たい石でしかないお墓が、その時だけは何故か暖かく感じられるのも不思議です。

お盆が過ぎ、誰もいなくなったお墓に一人佇んで心の中で話しかけてみます。

しばし瞑目の後、「ではまた来年!お盆が明けたら会いに来ます。」

大阪と長浜、それほど遠い距離ではないものの、お墓参りとなるとなかなか行き辛い距離。七夕ならぬ、年に一度のお墓参りは私にとって両親がまだ幼かった昔に会える大切な行事なのです。

地蔵盆が終わりました

今年もお盆が終わりました

以前にも申し上げたように 私のお寺では地蔵盆は静かにお勤めをいたします

お参りに来られる方は その年に初盆を迎えられたお家の方がパラパラと来られるくらいで お勤めをしながら過ぎゆく夏をしみじみ感じられる法要です

兼務するお寺や 少し離れたところの自治会主催の地蔵盆にも寄せていただきましたが 普段なら賑やかな子供たちの声が聞こえるはずが こちらも昨年からはコロナの影響からか 随分と静かなお勤めとなってしまいました

さて今年も 私の村で何軒かの初盆のお家がありましたが 地蔵堂には切子灯篭が一対飾られました

各地でその風習は異なってくるとは思いますが 切子灯篭は初盆を迎えたお家の仏間に吊り下げられ いつものお盆以上に賑やかさが増します お浄土に往かれ 初めて帰ってこられるご先祖様を 賑やかにお迎えする一つの象徴のようなものですが 昨今の住宅事情からか切子灯篭を飾られるお家が少なくなってまいりました

その切子灯篭を地蔵盆にお寺に持ち寄って 地蔵堂を賑やかにお飾りするのです

一年に一度だけ地蔵堂が晴れやかに見える地蔵盆

それは大切な家族を亡くした方々が お浄土へと帰って行かれるご先祖様を静かに見送る大切なひと時でもあるのです

この風習は出来ることならずっと残していきたいものなのですが 果たしてこの先どうなっていくのでしょうか!?

お盆が過ぎ 一日が随分と短くなってきました まだ陽が昇る前や、夕暮れてからはカナカナカナ…と蜩の悲しそうな鳴き声が聞こえてきます

今年も無事に夏を越させていただきました

この先あと何回夏を過ごすことができるのか!?

仏様ならぬ身の知る由はありませんが 子供の頃からずっと感じてきた この時期のなんとも言えないノスタルジックでセンチメンタルな思いだけは大切にしていきたいものです

お盆が終わりました

長らくご無沙汰しておりました

忘れていた訳ではございません 年齢とともに一日の疲れ方が半端なくひどくなり とても落ち着いてつぶやこうという気力が湧いてこなかったのです

一日も早く楽隠居をしたいと思う今日この頃であります…

加えて今年は土砂降りの雨に悩まされ 全国のお坊様方は大変な時期を過ごされたのではないかと思います 全国のお坊様 お疲れさまでした

そして後になってしまいましたが 今回の豪雨により大きな被害を受けられた皆様には心よりお見舞い申し上げます

年々自然災害が大きくなり 今まで考えもしなかった災害が起こるようになってきました 私たちの子孫はこの災害とともに生きていかなければならないという 大変な人生を送らなければなりません 何とか被害を小さくしていくことができないのでしょうか!?

さてお盆ということもあり 今回はひとつ我が家で起こった不思議なお話をしようと思います

今夏は2月に亡くなった私の母親の初盆でもありました

寺族のお勤めはいつも後回しになります お盆の最終日である8月15日の午後3時からみんなが集まってお勤めをさせてもらいました

無事にお勤めも済み 本堂から下がってきたところで息子が一言

「さっきお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが来てたね」

私:「えっ?」

息子:「二人そろって本堂に入ってきて お祖父ちゃんは僕の横の座布団に座ってたよ お祖母ちゃんは祭壇の後ろに立ってこっちを向いてた」

私:「見えたんかい!いや来てたんかい!」

私の弟:「そういえば 以前お祖母ちゃんが夢に出てきて ちゃんとこっちでお祖父ちゃんに会えたって言ってたわ」

私:「私のところには二人とも一度も夢に出てきてくれないのに 見捨てられてるのかな?」

…そんな話をしていたのですが 実は私は両親が亡くなってからも不思議と淋しい思いをしたことがありません 何故かいつも私の周りをうろうろしてくれているような気がしてならないからです

人は死んでお終いではありません 生きている私たちには姿が見えなくても ご先祖様はちゃんと見守ってくれています

そして仏様を信じ 祈ってさえいれば必ず極楽という向こうの世界で懐かしい方たちと再び相見えることができるのです

阿弥陀経にも書いてありますよね 「倶会一処」

そう思えば少しも淋しくなんかないのです

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