2021年 9月 の投稿一覧

夜明けが遅くなりました

早いもので9月ももうお終い。お彼岸が過ぎ、気が付けば昼間よりも夜のほうが長くなってきてるんですよね。

毎朝4時半に起床している私はまだ暗い中を本堂の戸を開け、身支度を整えて本堂の勤行を始めます。

夏至の頃は4時半でもかなり明るくなってきていたのですが、秋分の日を過ぎると6時近くならないと明るくなってくれません。

6時前には勤行を終え、6時の時報とともに釣鐘を打ちます。

ちょうどお彼岸の最中のことでした。釣鐘を打つ前に山門を開けたところ、幼い女の子二人を連れた若いお母さんが門の前に立っておられました。

朝6時前にお寺に行けば、釣鐘を打たせてもらえると聞いて、子供たちと歩いて来られたとのこと。

「どうぞどうぞ。」と、子供たちにもついてもらい、満足して帰って行かれました。

私のお寺では、たまにこういった風景が見られます。

そして、子供連れでやって来られる方がある度に、私は背筋がシャキッと伸びるような感覚を覚えるのです。

お正月と旅行中を除いて、毎朝欠かさず釣鐘を打ちます。

疲れが溜まって体がだるい時もあれば、寝不足で頭がぼんやりとしている時もあります。

それでも朝6時の釣鐘をちゃんと聞いていて下さる方がおられるのだと思うと、おのずと背筋が伸びてくるのです。

「疲れた姿は見せられない!」

お坊さんの矜持ですね。

これからはもっと夜明けが遅くなり、6時になってもまだ暗い日々が続くようになります。高台にある私のお寺からは遠くにある家までよく見渡せます。

6時に釣鐘をついた途端、まだ暗闇の中にある家々に一つまた一つと明かりがともっていくのがよく見えるのです。

「今日もまた沢山の方々がお寺から聴こえる釣鐘の音を待っておられる。」

そんなことを思いながら、明日もまた薄暗い中を頑張ります。

油揚げ LOVE

今まであまり触れてはこなかったのですが、私は油揚げ(薄揚げ)が大好きです。

もちろん、こだわりがあります。・・・と、言うよりもかなり味にうるさいです。

朝食で、焼いた薄揚げが二枚もあればその日は最高の気分でスタートが切れます。

ただ、今まで私の舌に合格したお店は僅か4軒。

元々私の母親の実家の近くにあった豆腐店の味が私にとっての最高の味で、わざわざ大阪まで50枚単位で送ってもらっておりました。

残念なことに、ここの御主人が病に倒れられ、跡継ぎが無かったためお店をたたまれたのですが、その時はわざわざお手紙までいただきました。

「どんだけ食べとるねん!」と、突っ込みを入れられそうですが、困ったのはその後のこと。

このお店の味に匹敵するだけの油揚げがなかなか見つからなかったのです。

色々と探し求めたのですが、何年もかかって、ようやく数軒が見つかりました。

最近はさすがにまとめて送ってもらうことは少なくなりましたが、先日久しぶりにまとめ買いを致しました。

それはこの間寄せていただいた岐阜県は高山市でのこと。

早めに宿に着いたので、一人街中に出てお気に入りの豆腐屋さんに。

コロナ禍のため、観光客はパラパラ。開いているお店もあったのですが、それでも他のお店には見向きもせず一直線。

飛騨牛か油揚げか?

私は油揚げ!

それはさておき、油揚げといえば大豆にお水、そして揚げる時の油。

焼いた油揚げを口に入れた時にジュワッと広がる昔ながらの味がなんとも言えない幸福感を与えてくれます。

料理に手間がかかることもなく、しかも郷愁すら感じさせてくれる品というのは、現代のカップ麺や冷凍食品には決して真似のできないものであります。

これは決して今のインスタント食品がダメだということではなく、シンプルでチープなものの中にも素晴らしいものが有るのだと気付いて欲しいのです。

昔ながらの製法にこだわった食べ物が少なくなっている今こそ、この貴重なお店にもっともっと頑張ってもらいたいと思います。

お願いだからお店が無くならないでくださいね!

油揚げ 命。

・・・と、言うわけで、しばらくはご機嫌な毎日を過ごせそうです。

日和田に行ってきました

今月2、3日と岐阜県高山市の日和田というところへ行って参りました。

融通念仏宗の方ならご存知の方も多いかと思いますが、野麦峠のすぐ近く、山また山の本当に山奥にある日和田集落に融通念仏が伝わっており、もう随分前になりますがこの地に「融通念仏伝承地」という石碑が建てられました。

日和田では昔、大雪の時期にお葬式ができた時には、麓からお坊さんが来られず、集落の人たちで融通念仏を称えて弔いをしたといいます。

私のお説教の師匠であった山本静章師が初めてこの地を訪ねられ、その後細々と交流が続いてきたのですが、この度石碑の周囲の土地を本山に寄進していただくこととなり、正式にその手続きが終了したことを受けて、本山から田中宗務総長、好野庶務部長、佐々木財務部長に私が加わり、日和田の地まで御礼を兼ねてご挨拶に行って参りました。

少し雨模様だったのですが、山深いところに石碑が建ち、それを日和田の方々が長い間お守りしてくださっていたのは本当に有難いことです。

この日和田の皆さんが、初めて本山大念佛寺にお参りくださったのは、確か大阪で花博が催されていた時であったと記憶しています。

5月の万部法要に日和田融通念仏を奉納してくださったのですが、そのあとの懇親会で、当時布教師会で一番若手であった私が日和田の皆さんにお酌をして回った記憶があります。

その時のことをお話しすると、皆さん大変驚いておられました。

あれから30年以上の月日が流れ、主だった方々は皆鬼籍に入られ、布教師会でも、日和田でもその時のことを覚えておられる方は随分少なくなってしまいました。

大切なことは、この交流をたとえお互いに遠く離れたところにあっても末永く続けていくこと。

コロナという如何ともしがたい壁はあっても、融通念仏のつながりを深めていくことが私たちの務めであり、これからの若い布教師の皆さんにも是非お願いしたいと思います。

雨に霞む山々を眺め、布教師会の先輩方が結ばれた絆を再確認させていただき、思いを新たにして帰途に就いたのでありました。

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