昨日、1 年 8 か月ぶりに本山で定例布教が行われました。
昨年 2 月に行って以来、本当に長い間お休み状態で、会長として忸怩たる思いをしており
ました。
本当に再開して聴聞に来て下さる方がおられるのだろうか?
ドキドキしながら再開を待っておりました。
有難いことに、10 月 30 日に行われた、法話の若手日本一を決める H1 グランプリにおい
て、関本和弘師が見事に優勝!
急遽出演者を変更して関本師の記念布教に切り替え、再スタートとなりました。
それでも不安は残ります。本山にお願いして広い会場をセッティングしたものの、やっぱり
少なかった・・・では目も当てられません。
それでも、H1 グランプリ優勝が呼び水となったのか、100 人を超える方々が聴聞にお越し
くださいました。
その中には懐かしい(?)顔ぶれもあり、「多くの方々が定例布教を待ち望んでいてくださ
ったのだなあ」と、とても嬉しく思いました。
さて、関本師のお話ですが、さすがに大舞台を経験したあとなのか、以前と比べて随分と自
信に満ちておりました。
人間というものは、何かのきっかけがあれば一足飛びに成長するものなのだと改めて感じ
させられた次第です。
そして、前座で布教された法喜師も感じるところがあったようで、次回は彼が H1 グランプ
リにエントリーして優勝すると宣言が飛び出しました。
会長としては本当にうれしい限りです。八方ふさがりな時でも上を向いて歩いていけば、き
っといいことがある。
小さな宗派であっても凄いんだゾ!
新しい芽が顔を出し、上を目指して伸びていこうとする姿を見る時、「よしっ!こっちはも
う一段上の壁になってあげよう。」などと、こそっと決意する私でした。
2021年 11月 の投稿一覧
得度式
初めに・・・もっと早くアップしたかったのですが、モデムの故障でネットがダウン!やっと更新できます。
先日(11月21日)、奈良県は平群にあるS寺におきまして、・・・これだけで多分、分かる方には分かると思いますが・・・得度式が執り行われました。
今さら説明の必要はないかと思いますが、得度式とは在家(一般家庭)の人間が、髪をおろして(剃髪)僧侶になることを言います。
私も誡師としてその式に座らせていただいたのですが、お師匠様の前で素直にちょこんっと座る二人の若様の姿を見て、久しぶりに自分の子供の頃のことを思い出しておりました。
私は今の自坊で生まれた最初の子供であったためか、幼いころから周りからは次の住職になるのは当たり前と思われていました。小学校に入れば、「お寺の息子」という格好のいじめ対象にされ、周りの目といじめに反抗して、子供心に「絶対にお寺を出る!」と決心をしておりました。
ところが、会社にも就職し、普通にサラリーマンにもなれたのですが、結局お寺の跡を継ぐことになり今に至ります。
随分と回り道をしてきたような感じですが、今から思えばこの道のりは今の私にとってどうしても必要不可欠なものだったと言えます。
この度、得度式を挙げた二人の若様も、これから先の人生において様々な経験を積んでいかれるでしょう。そしてそのどれ一つを取ってみても必ず自分の肥やしになっていくのだろうと思います。
時には「お寺の息子」というレッテルに反抗することもあるでしょうし、もっともっと自分がやってみたいと思うことが見つかるかもしれません。
それでも最後に帰れるところが自分たちにはあるんだという事は、忘れないでいてほしいと思います。
今回の得度式で、檀家を代表して若様の親元「親受け」という大役を受けてくださったM氏は私もよく存じ上げている方で、お話の分かる大変頼りになる方であります。
若様は、まだ僧侶としての第一歩を踏み出されたばかりではありますが、お師匠様や親受け様の薫陶を受け、沢山の周りのお陰をいただいて、これから先どんな成長をしていかれるのか実に楽しみです。
と同時に、こんなことをつぶやいてしまう自分が、ひどく年寄りじみてきたと、少し驚いています。
立冬を過ぎました
早いもので今年も残すところあとひと月半。
半月前は、ハロウィーン!などと世間が騒いでいましたが、最近は街にクリスマスソングが流れ、新聞などにはお節料理の宣伝が載ったりしています。
まだ11月だというのに気の早いものですね。
コロナで閉じこもっていた分、弾けているのでしょうか?
それでも確かに暦は進み、先日立冬を迎えました。
確かにここのところ寒さが一段と感じられるようになりました。朝6時につく釣鐘も、まだ暗闇の中です。
本格的に冬がやって来るのですね。
ところで、この冬という言葉の語源をご存知でしょうか?
「冬」とは、「増える」→「増ゆる」→「ふゆ」→「冬」と変化したものだそうです。
では、何が増えるのか?
冬の間に、木の芽が増えることなのだそうです。
寒い時期に木々は葉を落とし、まるで枯れ木のように佇んでいますが、その枝を覗いてみれば固く閉じられた花の蕾ややがて葉となる膨らみが見て取れます。
昔の人はこの木々の姿を見て、寒い間にしっかりと次の季節の準備をしていることに感銘を受けたのでしょう。
人の一生もまた山あり谷あり、春もあれば、冬のような時期を潜り抜けなくてはいけないときもあり、本当に様々です。
大切なことは、自身の冬の時期に如何に沢山の芽を増やし蓄えることができるか?ということでしょう。
機が熟して花が開こうとする時、数えきれないほどの花をその枝につけ、通る人々の目をくぎ付けにできるほどの美しさを身につけていられるように、私たちは歩んでいかなくてはいけません。
コロナに振り回されたこの2年の間をしっかりと見つめて、自身の糧とできたかどうか?
反省とともに、もう一度自分の目標を再確認。
今からでも遅くはありません。しっかりと自分の枝に芽を増やしていきましょう。