ある写真 

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つい先日のことです。

娘がスマホのニュースに(いや、それがニュースだったのかツイッターだったのか今となっては忘れてしまったのですが)掲載された一枚の写真を見せてくれました。

写っていたのは一匹の白い大型犬。

悲しそうな眼と、自分の運命を受け入れてしまったような寂しそうな表情。

写された場所はとある保健所で、これから殺処分にされる前に撮られた一枚だったのです。

私は心をギュッと鷲掴みにされたような錯覚を覚え、それ以来この犬の姿が頭から離れなくなってしまいました。

人がペットを手放す理由は様々であることは理解しています。やむなく手放さざるを得なかったのかも知れません。

しかし、そこに写った犬の表情、姿を見た時、どうしても「何とかならなかったのだろうか?」という思いが強く残ってしまいます。

我が家にも昨年5月に一匹の四国犬がやってきました。

京都北部は伊根の山中で、パトロール中のお巡りさんに保護され、保護犬として警察署でしばらく養われていたのですが、何処からも引き取り手が現れず、あと数日で保健所に移され、先ほどの犬と同じ運命をたどるところでした。

たまたま縁があって私のお寺に連絡があり、家族と相談したうえで引き取ることになりました。

元々我が家には猫が一匹住んでおり、この猫も生まれて間もないころに、お寺の前の用水路の中に落ちて危うく死にかけていた所を助けてやったのが縁で、我が家の家族になった経緯があります。

命を大切にするという事は、人間も動物も変わりありません。

我が家にやってきた四国犬のカイ君も、来た当初は私の法衣姿にも怯えていました。どんな人に飼われていたのかは知りませんが、吠えることもせずただ怯えていました。

今ではお陰様で、私にも尻尾を振りながら飛びついてきてくれるようになりましたが、その意味でやっと家族の一員になってくれたかなとひと安心です。

私の心に深く残った一枚の写真。

ただただ、沢山のペットたちが、この写真の犬のような悲しい運命を辿らないように願わずにはいられません。

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