お参りを中止いたしました。 …もとい、違う日にお参りを振り分けて、G20開催中はお寺にじっとしていることに致しました。
とは言え、お寺でじっとしていることはできません。
外で庭掃除… 朝から雨で、これも不可!
今はこれを書いています。
久し振りに今日は家族がみんな外出しており、心静かにお勉強が出来そうです。
ここでふと思ったのですが、我が家の飼い猫サクラは朝から自分の寝床で丸まって寝ています。
寝ているか、餌を食べているか、外に遊びに出ているか、毎日がこのローテーション!
「今日はサミットだから…」などと謂っても「我関せず」
猫にはネコの生きる道があるのですね。
この姿を見ていると、「何と自由闊達に生きているのだ。」と感心してしまいます。
猫にもネコの社会があるのでしょうが、人間ほどは「とらわれなく」生きているように思えます。
人はみな、何がしかの社会的縛りの中で生きています。たとえ僧侶であっても、師匠と弟子、あるいは宗派の中における役職といったものがその人を縛り、身動きがしにくくなってしまっているように思えます。
「捨ててこそ!」
これは、昔ある僧侶が仰った言葉であります。
人間は本来無一物。母親のお腹から「おぎゃあ~。」と生まれてきたときは、何も持たず、何もまとわずにいたものです。眼もはっきりと見えずに不安の中で、何かをつかもうと手を伸ばした時に「苦」が始まったと言われます。
今まで生きてきた人生で、掴んで離さずにいたものを「執着」と言い、それを捨てて身軽になることで、心の自由が得られるのなら、これが本当の解脱なのかも知れません。
とは言ったものの、それが出来ないから、こうして人間をやっているのです。
今までどれほど多くのものを掴んできたのか、それを手放すことは容易な事ではありません。