雲は嶺頭にありて閑不徹

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昨夜からの雨が昼前に上がったものの いまだに低く垂れこめたようになっています

3月8日の正午まえ 早めにお参りが終わり車を走らせて自坊まで帰る途中 ふと生駒山系に目をやると 丁度白い雲が山脈を越えていくように山頂部分を覆っていました

私はこの光景が大好きです

よく見れば 薄い霧のようなものが山肌の谷に当たる部分から尾根伝いに少しづつ上昇しており その部分だけを切り取ってみれば 深山幽谷の中に入り込んだような錯覚に陥ります

降り続いた雨が上がるということは やがて太陽が雲間から姿を現し 自分の居るところを明るく照らし出していくということ

深く垂れこめていた霧が晴れ 遠くまで視界が利くようになるということ

一人一人の人生にあって およそ雨の降らないことはまずありません 土砂降りの雨や防風雨だって時もあるでしょう

それでも雨が止むときはかならずやってきます 霧が晴れて嘘のように見通しが利くようになり 雨で洗われた景色が 今まで以上に美しく目に映ることがあるはずです

そんな時 私はいつも山頂にかかった白い雲のような心でいたいと思うのです

雲は嶺頭にありて閑不徹

「閑不徹」とは限りない静けさと言えばよいでしょうか 悟りの境地を現した言葉です

季節は冬から春へ… ひと雨ごとに寒さが薄れ 木々の芽吹きが進みます

寒い冬を越す度に 光あふれる春が来る喜びをかみしめ 心は嶺頭の白雲のように閑不徹

「静かに静かに それでいて不動の境地に安住していたいのです」と ここまで書いて ふと自己反省 残念ながらまだまだ私には遥かに遠い境地です

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