今年の立春は何故か寒波の到来とともにやってきました。
とりわけ週末の寒さは今年一番だったように思えます。
そんな中、私のお寺の中庭にある紅梅が蕾を膨らませ、とうとう一輪の花を咲かせました。
「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」
という句がありましたが、立春寒波の中ではとても暖かさは感じられませんでした。
ただ、梅が咲き始めたという事で、一輪の梅花を見ている私の心の中に、確かに春の足音が聞こえてきたのは確かです。
この「一輪ほどの 暖かさ」とは、きっと「人の心の中に芽生える春の暖かさ」のことなのでしょう。
「寒い季節は暖かさが心に沁みる・・・」
などと書いたこともありましたが、一輪の梅花はさしずめ「凍えて暗く沈んだ心の中に灯された一つの灯」といったところでしょうか。
世間がオリンピックに沸き、コロナに振り回されていようとも、自然はただ黙々とその季節に従った営みを私たちに見せてくれます。
人の営みというものも、本来そういった世間の動きに左右されず、ただ黙々と自分の歩みを続けて行くべきもの。
それでも自然の移り変わりの中に、喜びや期待、望みを抱いてしまうのは、人間という生きものが万能ではなく、眼に見えない大いなる何かの力に縋らずにはいられない「矮小な存在」でしかないからでしょう。
ただ、今日という「一日の命」をいただいたという事の有難さに気付かせてもらえば、それが何物にも代えがたい喜びであり、梅花が一輪花を咲かせたという事実にも、命の営みの尊さや輝きを感じずにはいられません。
梅一輪、一輪に宿る命の喜びこそが春の喜びなのでしょう。
今日は何故か哲学的な文章になってしまいました。難解な文でごめんなさい。