その他

やってしまったっ! part2

前回の続きです。

正月にやってしまったギックリ腰。久しぶりにきついのをやってしまったため、治りがよくありません。

この間、針治療、整体など何度も受けてはみたのですが、薄皮が剥がれるようにしか治ってくれません。

そこで家内が一言。「中国整体で凄くよく効くところがあるよ!」

「行ってみましょう!」

家内が予約まで入れてくれました。よくできた嫁です。

で、行ってきました。

確かに凄かったです。のたうち回りました。脂汗が出ました。心臓が止まるかと思いました。

終わってから先生が、「あなた筋肉とてもこてる、いかいじゃなおらないまた明日も来るね、その次も来る。(筆者注:あなたの筋肉はとても固くなりすぎていて、とても一回では治りません。明日と明後日も治療に来るように。)」

確かに中国人の先生が治療しておられました。ただ、こののたうち回るような痛さをあと二回も経験しないといけないのかと思うと、これが夢であってほしいと祈りたくなりました。

ここには、他にも患者さんがおられるので、治療の最中に悲鳴を上げることも憚られます。歯を食いしばり、「ひっひっふー、ひっひっふー。」・・・ん!?何か違うなあ・・・

ともかく痛みを誤魔化すために、ありとあらゆることを試しながら治療を受けました。終わった時には、精も根も尽き果てていました。治療台から立ち上がった時も腰から下がフラフラでした。

でも、帰りには腰に巻いていたコルセットを外していました。

確かによく効きました。かなりの荒療治でしたが。

そこで反省です。

こんな体になる前にもっと健康に注意しておきましょう。・・・とは言え、私の体の状態は、長年にわたり積み重なった筋肉疲労の結果です。

内臓脂肪や血液検査に目くじらを立てているそこのあなた、筋肉にも十分に注意を払ってあげてくださいね。無理をしすぎると、治療にも痛い思いをしなければなりません。

やってしまったっ!

今、激痛と戦っています。

寝返りもかなり慎重にしないと痛みが来ます。

平成最後の年が明け、しばらくたったある日のこと、何気に軽い荷物を持とうとしたところ、腰に電気が走りました。

「やってしもた!」

言わずと知れたギックリ腰です。

昨年はそれほど痛めることなく過ごしてこれたと思っていたので、多分油断があったのでしょう。

加えて、昨年末からの疲れが溜まっていたことにも原因があると思うのですが、自覚をしていなかったのが一番の原因でしょう。

と・・・ここまで書いて、「我ながら懲りない人間だ」と改めて思ってしまいました。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

という言葉があります。

もう何度も痛い思いを経験しているのに、また油断して同じ失敗を繰り返してしまったことに、本当に腹が立ちます。

・・・とはいえ、なったものはしようがない。

平成最後の・・・

明けましておめでとうございます!

今年もつぶやきをよろしくお願い申し上げます。

さて、いよいよ「平成」と呼ばれる時代が終わりを迎えます。

年始早々くだらないことで申し訳ないのですが、私たち僧侶は、年号が変わるたびに困ることがあります。

それは、年忌(法事)の計算がややこしくなるということです。一周忌や七回忌くらいならまだしも、三十三回忌くらいになりますと、計算がややこしくなり、例えば平成元年と昭和六十四年がくっついて「ああ~!どないなるねん!」と、知能指数が低い私は行き詰ってしまうのです。

まあ、それはさておき、大正15年と昭和元年、昭和64年と平成元年。このように同じ年でありながら元号が異なる二つの時代が存在する場合、どちらが時代として優先されるのでしょう?

単純な疑問ですが、来年1月に生まれた子供は平成三十一年生まれといわれ、来年六月生まれの子供は新元号の生まれと区別され、これから百年もたてば・・・ああ、ややこしい!

考えるだけでもややこしいです。いっそのこと元旦から新元号に変えてくれれば良いのに・・・そんなことを考えながら、時間を過ごしてる私は単細胞人間です。

考えてみれば、いつの時代も仏さまの眼で見れば、至極単純な事ばかりなのです。ややこしくしているのは、いつも私たち人間であるということ。一年という単位も人間が便宜上作ったものであり、時の流れに区切りなど作ることは不可能なのだということ。

単なる春夏秋冬の繰り返しであり、その繰り返しの中で、出会いと別れを重ねているのが私たち人間なのです。そこに元号などというものを組み込もうとするものだから、人間は本当にややこしいことが好きなのですね。

ともあれ、今年一年がややこしくない一年でありますように。


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