その他

一斉に

先日のことです。奈良県のとあるお寺でお話を始めた時のこと

ちょうど始めてから五分くらい経ったころに 本堂中に緊急地震速報が鳴り出しました

普段こういった場所では 携帯電話はマナーモードにされているものですが 緊急地震速報だけは そんなことお構いなしに 大きな音で危険を知らせてくれます

ただ やはり時と場所を選んでほしいもので 「さあ これからお話の本題に入っていこうか…」というところで 本堂の中にいる人たち全員の携帯が一斉に鳴り出すと(私を含めて) これはもう収拾がつかなくなってしまいます

確かに揺れはしたものの大したほどのものではなく すぐに収まりはしたのですが 本当の意味でのざわつきがその後に待っていました

まず数人の僧侶が 「大丈夫ですか?」などと横から声をかけてくる

「大丈夫、話が始まったところだから、邪魔をしないで下がっていて。」

そう声をかけて下がってもらったところに、お参りの皆さんが、皆一斉に携帯電話を取り出し、自宅に電話をかけ始めました。

揚げ句に「ちょっと家が心配だから 戻ってきますわ」などと 数人がいそいそと本堂から退出する始末

「もう揺れも収まったから大丈夫ですよ」と言ってはみるものの どなたも聞いて下さってません

何とか静けさを取り戻したのはそれから10分ほど経ったときでしょうか

つくづく「人間とは心の定まらない生き物であるな」と考えさせられました

「身はここに 心は信濃の善光寺」

ほんの些細な出来事で 体はお寺の本堂にありながら 心は自宅に舞い戻っているのですから…

私たちの心とは それほどに自由気ままに動き回るものなのです

そして それだけに自分の心をしっかりと捕まえて行くことが 修行だと言えるのです

12月は言わずと知れた「師走月」

心が定まらないと思わぬところで‘へま’をするかもしれません

皆さん くれぐれも心に用心をしてお過ごし下さいね

そういえば一昨年…

1月10日 朝の8時直前

「ぎゃー!!」という叫び声とともに 大学生の娘が起きてきました

「電車に間に合わないぃぃぃ―!」

 

「何分の電車!?」と尋ねると

「8時5分!」  発車まで10分を切っています

 

娘はこの日、高校時代の女友達4人と、一泊温泉旅行に行くことになっていました

 

誰しも身に覚えがあるとは思いますが、遠足の前日は興奮してなかなか寝付けなかったものです

このとき子供には 二つのパターンがあって、一つは興奮が朝まで続き、いつもより早く目が覚めてしまう子供。もう一つは体がしっかりと睡眠時間を要求して、寝つきが悪かった分、そのしわ寄せが朝にきて、寝過ごしてしまう子供

 

娘は後者の方で、寝ぼけた頭でパニック状態!

聞けば「明日の朝で間に合うから」と、旅行の準備もしていなかった様子。しかも4人分の電車の切符まで預かっている(汗)

 

「オー マイ ブッダ!」

慌ててネットで、予約していた特急の出発時刻と 間に合う電車を調べ、化粧もそっちのけで準備をして 滑り込みでセーフ!

 

「人生何とかなるもんだ…」と、嵐のように出かけて行った娘の姿を思い出し、

この世には 「大丈夫」 という保証はないと 一人で頷いております

 

「明日時間があるから、明日でも大丈夫」

「別に今やらなくても、この次でいいや」

「これだけやれば、あとはやらなくても心配ないさ」

 

そんな確証はどこにも無いんです

人は、用心に用心を重ねて歩んでいかなければならないということだと思います

用心深く歩いていくべしと、考えさせられた出来事でした

クリスマスキャロルが流れる頃に…ふと思う

今年も残すところあとわずかになってきました

街はクリスマス一色となっています

12月は師走 そう! お坊様が走り回る時期であります

そして忘れてならないのが12月8日

太平洋戦争が始まった日であり、私たち仏教徒には お釈迦様が悟りを開かれた日「成道会」の日なのであります

 

まあ、それにしても日本人の宗教観というものには感心します

一年を通じて仏教徒になったり、クリスチャンになったり…

だってクリスマスが終われば除夜の鐘をついて、神社仏閣に初詣に行かれるでしょう?

 

以前、堺屋太一さんが仰っておられました

「日本人の、宗教というものへの『寛大さ(良く言えば)』を作ったのは聖徳太子である」と…(神道の国に佛教を持ち込んで国教とした点で)

 

元々農耕民族である日本人は、自然に対する畏敬の念はかなり強かったみたいですね。それだけに、自分たちに幸せをもたらしてくれる神仏は何でもOK!

これを書くと、本当のクリスチャンの方々に怒られてしまうかもしれませんが、それこそイエスキリスト様もまた、八百万の神々の中の一人の神様的な感覚で捉えているのではないかと思うことがあります

日本の風土というものが、一神教ではなく、多神教を是とするようになっていると思うのです

 

そんな私も子供の頃は、家(お寺)にクリスマスツリーを飾ってもらえずに、友達の家へ遊びに行っては淋しい思いをして育ち、結婚をして子供ができたときには、その反動で「子供の情操教育だ!」などと言って、自分の身長ほどのツリーを買ってきて、自己満悦に浸っていました

子供が成長した今では、その子供たちから「お寺の住職が何をやってんだ!」…などと 逆に窘められています

 

まあ、長々と書いてきましたが、要は己の心に幸せを感じることができれば、何だって良いじゃないですか!

本来、宗教というものは人の心に幸せを運ぶものなんですから

これを読んで下さってる皆さんが、来る平成30年を幸せ一杯に過ごされます事を祈って今年最後のつぶやきとさせていただきます

あっ お正月ももちろんワインで乾杯!

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