先日、京都は大原にある融通念佛宗の元祖、聖應大師良忍お上人様の御廟に、布教師会の方々と参拝して参りました。

大原と言えば三千院。

その横を塀沿いに上って行くと、来迎院というお寺があります。

このお寺の本堂の奥に、古びて苔むした三重の石塔が建っており、これこそが、今から九百年近く前にお亡くなりになった、良忍上人のお墓であります。

墓前に向かいますと、真新しい塔婆が何枚も立てかけてあり、どなたかは判らなくとも何人もの方々がここへ参拝に来られていることが見て取れます。

大原は、融通念佛宗の始まりの地であり、宗門の人間は御開山の眠られる土地として、特別な思いを持つ場所なのです。

折りしも季節は梅雨の真っ只中、天気予報は午後から雨だと報じていたのですが、そこはそれ、晴れ男の私が行けば、何とか雨に降られずにお参りすることができました。

お参りした後、ふと考えたのですが、亡くなって九百年近くたった今も「墓前で手を合わせてもらえる」ということが、如何に凄いことであるのか!?

私の場合ならせいぜいもって五十年位でしょうか?

比べること自体に無理があることは百も承知ですが、自身の人生をかけて仏道に邁進し、世の人々の苦しみを除かんとされた姿は、九百年近く経った今も語り継がれ、参拝者が絶えないという形で残っています。

「名こそ惜しめ」

自分の名に恥じないように生きる。

自分を捨て、世の人々のために生きる。

今の私には想像もつかないような行為であっても、昔はそんな事を当たり前のようにやってしまう人間が沢山おられたのでしょうね。

名前が残るのももっともか。