時節

お寺のまわりは紅葉真っ盛り

12月に入り いよいよ今年も最後のひと月となりました

今の時期 私のお寺の近くを通る国道168号線を 生駒に向かって遡っていきますと 街道沿いの紅葉が一番奇麗な色付きを見せてくれています

もちろん これを見るために大勢のハイカーがやってこられますが 多くの方は時期的に早く来すぎてしまい(大体11月中旬から下旬) 本当に美しく見える今の時期(11月末か12月初め)を外してしまわれるのが なんとも勿体ないのです

実は昨日(11月晦日) この道を通ったのですが 朝日に輝く紅葉がなんとも美しく青空に映えておりました

そしてこの時期を越えると 山々の木々は急にその色を落とし やがては暗い冬の色合いに姿を変えていくのです

あたかも山々が冬眠に入るように…

今年はコロナに揺れましたが ニュースではあちこちに熊が出没し 人に危害が及んでいると聞いています

私のお寺でも 今年は久しぶりに狐の姿を見ました

狸やイタチはよく見かけるのですが やせ細った狐がカラスとエサの取り合いをしていたのには驚きました

狐を見たのは本当に久しぶりでした 人前には滅多に姿を見せない狐が お寺の裏庭に姿を見せたということは 山の実りが少なくなっているということなのかも知れません

いずれにせよ今年もあとわずか 来年こそは私たちにとっても 森の動物たちにとっても実りの多い一年になってほしいものです

朝の釣鐘

私のお寺の釣鐘は 毎朝6時に鳴らします

それもラジオの時報に合わせてつく為 こんなに正確な釣鐘はありません

あまりに正確すぎて「全自動鐘撞き機で釣鐘を撞いているのでは!?」などと疑われたこともあります

いえいえ 完全手動ですが…

数日前の朝のことでした

最初の鐘を鳴らしてすぐに 山門から一人の女性が境内に入って来られました

そして釣鐘堂に立つ私を見て「あら、本当に撞いてはる」

どうやら朝の散歩で歩いておられる方のようでした

「せっかくだから お一つ撞いて見られますか!?」

そう申し上げると、「え、いいんですか!?」と言いながらも

やる気満々でやって来られ「どうぞ」と私が促した途端 力一杯に釣鐘を撞かれました

真横にいた私の耳の鼓膜が破れるのではないかと思うほどの音でした

これで気が済んだのか 釣鐘から離れて 今度は私が撞くのをじっと見ておられました

私が撞くと そのあまりにもの音色の違いに 今度は感心され

「ああ、そうやって打つんですね!」と仰ったのです

私の音色は 丸く包み込むような音色になります

決して大きくはなく 耳に響きすぎることもありません

強く打てば強く響き 優しく打てば優しく響く…

当たり前のことですが 人間にとってこれほど難しいことはありません

誰もが大きく鳴らしてやろうと意気込むものです

そして本当にいい音色というものは 聞いている人の耳に心地よく響くものなのです

当たり前のことですが 釣鐘の音色は撞くたびに少しずつ異なってきます

全く同じ音色を出すことはできません

それは晴れの日 曇りの日 雨の日…

そして春夏秋冬によっても異なってきます

「上手く撞けた!」そう思えることはなかなかありません

ですが 毎朝の日課として 1日のスタートにこの釣鐘を聴いている人の耳に心地よく響いてくれるように いつも心がけて撞いています

そう釣鐘一つにも奥深いものがあるのです

今日から10月

早いもので 令和2年もあと三か月となりました

今年は コロナに始まりコロナに終わりそうな一年でありました

このコロナが蔓延してからというもの 本当に時代の流れが速くなったと感じずにはおれません

ただ こんな時こそ腰を落ち着けて この時代の流れていく先をしっかり見ていかなくてはなりません

「止観」という言葉があります

「しっかり歩け しっかり止まれ」と申せばよいでしょうか

今の時代ほどこの言葉を重く感じることはありません

「止」は前(さき)にあって煩悩を伏し「観」は後にあって煩悩を断じ 正に真如を証す

人間の持つ煩悩が道を迷わせ 判断を誤らせ 袋小路へと向かわせていくのです

自分自身の本当の目標は何か!? それが正しいものなのか!? 道は間違っていないか!? よそ見をしていないか!?

その一つ一つを一心不乱に歩み続けながらも 時にはしっかり立ち止まって検証していく

マスクに先を争ったり 給付金に右往左往したり GOTOに一喜一憂したり… 目の前のことに心を囚われ 自分にとって何が大切であるのかを見落としてしまっては 全く持って勿体ないことになってしまいます

とは言え かくいう私もコロナに振り回された日々でありました 最近になってようやく心のゆとりが出来てきたような有様です

コロナに限らず この世には私たちを迷わすものがあふれています 何より迷いやすい心を持っているのが私たちなのですから 迷うのも当たり前

そんな時「止観」の二文字を思い浮かべ 自らの逸る心を抑えて残る三か月をゆったりと過ごしていこうではありませんか

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