時節

ちょっとホッとするお話

今年は梅雨に入るのが遅かったせいか、なかなか明けてくれません。

明ければ明けたで無茶苦茶暑くなるので、「もう少し遅れた方が良いのかな?」などと勝手なことを思ったりしています。

この季節のジメジメした空気が嫌いで、ついついエアコンの除湿モードを使ってしまうのですが、これが結構室内を冷やしてしまい、家族が体調不良にもなっています。

そんな中、ちょっとホッとして、ちょっと残念な、でもよかったねと思えることがありました。

何日か前、娘の職場に、捨てられた二匹の子ネコが連れてこられました。段ボール箱に入れられた、まだ生まれて間もないような子ネコです。

職場で飼うわけにもいかず、保健所に連れていくことはしたくないし…。

この二匹の子ネコは、一匹はかわいらしい顔をしていたそうです。ところが、もう一匹の方は、娘曰く「どう贔屓目にみても、ぶちゃいく」

生まれてからずっと一緒だったのでしょうが、箱の中でいつもじゃれ合い、寝るときも二匹が寄り添うように寝ていたそうです。

ところが、翌日にはかわいらしい方の子ネコは飼い主が見つかり、引き取られることになりました。

いつも二匹で淋しさをこらえてきた子ネコちゃん、離れ離れになるときに、お互いがこれ以上ないくらいに必死な声で「にゃーー、にゃーー!」とお互いを呼び合ったそうです。

子ネコでも、これが最後の別れになることを感じていたのでしょう。

職場では、残された子ネコが余りにも可哀そうで、みんなが相手をしてあげていたそうなんですが、娘が意を決して「もしよかったら、家に連れて帰ってもいい?」などと聞いてくるもので、家内も半分その気になって、「じゃあ、今日一日待ってみて、誰からも声がかからなければ、連れて帰りなさい。」と許可をしました。 

ところが、“捨てる神あれば拾う神あり”とでも云うのでしょうか、その日の夕方近くになって、子ネコの引き取り手が見つかったのです。

娘と家内はがっかり…

というのも、もう家内はそのつもりになって、子ネコの居場所まで作り始めていたからです。

縁がなかったと言えばそれまでなんですが、捨てられた子ネコに新しい居場所が出来たことは、本当に良かったと思いました。

そして、たとえ生き別れになったとしても、それが子ネコたちの運命なら、新しい居場所で精一杯生きていって欲しいと願わずにはおれません。

人もまた、様々な出会いと別れの中で生きています。

過去を生きることができない以上、私たちは未来へ生きていかなければならないのです。今までの自分がどうであれ、今からでも一生懸命に生きていけば、きっと未来は開かれる。

子ネコの話を聴いて、少しホッとして、ちょっと残念、でも「ああよかった」

そして、自分も最後に「ああ良かった」と言えるようになりたいと思いました。

本日はサミットにより…

お参りを中止いたしました。 …もとい、違う日にお参りを振り分けて、G20開催中はお寺にじっとしていることに致しました。
とは言え、お寺でじっとしていることはできません。
外で庭掃除… 朝から雨で、これも不可!
今はこれを書いています。

久し振りに今日は家族がみんな外出しており、心静かにお勉強が出来そうです。
ここでふと思ったのですが、我が家の飼い猫サクラは朝から自分の寝床で丸まって寝ています。
寝ているか、餌を食べているか、外に遊びに出ているか、毎日がこのローテーション!

「今日はサミットだから…」などと謂っても「我関せず」
猫にはネコの生きる道があるのですね。
この姿を見ていると、「何と自由闊達に生きているのだ。」と感心してしまいます。
猫にもネコの社会があるのでしょうが、人間ほどは「とらわれなく」生きているように思えます。

人はみな、何がしかの社会的縛りの中で生きています。たとえ僧侶であっても、師匠と弟子、あるいは宗派の中における役職といったものがその人を縛り、身動きがしにくくなってしまっているように思えます。

「捨ててこそ!」
これは、昔ある僧侶が仰った言葉であります。
人間は本来無一物。母親のお腹から「おぎゃあ~。」と生まれてきたときは、何も持たず、何もまとわずにいたものです。眼もはっきりと見えずに不安の中で、何かをつかもうと手を伸ばした時に「苦」が始まったと言われます。

今まで生きてきた人生で、掴んで離さずにいたものを「執着」と言い、それを捨てて身軽になることで、心の自由が得られるのなら、これが本当の解脱なのかも知れません。

とは言ったものの、それが出来ないから、こうして人間をやっているのです。
今までどれほど多くのものを掴んできたのか、それを手放すことは容易な事ではありません。

何故か…ゴジラ

今、私はお盆のお参りに必要な、経木塔婆を書いています。
これは、お盆にお参りに寄せていただく家々のご先祖様の戒名をお塔婆に記し、お仏壇に祀っていただくのですが、枚数が千枚近くになるのです。

大変です。
聞くところによりますと、昔から経木塔婆を書かない土地もあるようで、羨ましい限りです。
数が多いので、もちろん一気に書き上げることは不可能で、何日にも分けて書いていきます。
というのも、腰と肩と眼に負担がかかり、とりわけ老眼が進んでからというもの疲れ方が半端ありません。
そしてこれを書いていますと、細かい木くずが出ます。机の上を汚したくないので、いつも古新聞を机上にひいて、その上で書いていきます。
何日も何日も同じ古新聞を広げて書いていますと、頭の中に新聞紙の記事が刷り込まれていきます。今年の古新聞は、一面ハリウッド版ゴジラの映画広告。

…ゴジラ!

「ちょっと映画を見に行ってきます。」
家内にそう告げて向かった先は映画館。
何十年ぶりかのゴジラを見てきました。…この歳で。
それでも、映画館の大画面で見るゴジラは迫力がありました。荒唐無稽なストーリーではありますが、まあ怪獣映画というものはそもそもこれが当たり前なので、むしろ娯楽映画としては十分に楽しめました。
嬉しかったのは、あの渡辺謙が芹沢博士役(一番最初のゴジラで、オキシゲンデストロイヤーなる秘密兵器でゴジラを葬った科学者)で出演しており、しかも彼だけは「GODZILLA」と発音せずに「ゴジラ」と日本語で呼んでいるところが、日本人としてのゴジラへの思いが込められていて、共感を覚えました。
こんなことを書いていると、オタクと間違われるかも知れませんが、あくまで普通のオジサンです。

それはさて置き、この様な娯楽映画でも勉強になることがあります。
それは、ストーリー展開の上手さ。観客を飽きさせず、ストーリーの中に引きずり込むテクニックというものは、私たち布教師にとっても原稿の構成や、話術に参考になるところがあります。
そんな意味では、布教師というものは、どんなところにも観察眼を向けているものなのですね。
出演者の表情や言葉、細かい演技に至るまで、その人物の心の中をついつい覗こうとしている自分がいます。
長い間に身についた習性なのでしょうか。

それにしても、恐るべし、新聞広告!
…と、言うところで、塔婆書きに戻ります。
またしても取り留めのない「つぶやき」になってしまいました。すみません!

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