時節

中の島中央公会堂

4月5日 大阪は中の島の中央公会堂にて「花まつり市民大会」が行われました
毎年 大阪市佛教会が中央公会堂において行っているイベントです

春爛漫
大川沿いの桜が満開となり 川には花見の屋形船(!?)が何艘も繰り出し お花見を楽しんでおられました
「船に揺られて花見も良いものだなぁ」
などと思いながら 公会堂に寄せていただきました

実に立派な建物です
歴史的にもそうですが あの何とも言えない重厚感! 
初めて寄せていただいたのですが この様な立派な建築物が大阪にあるということは 素晴らしいことだと思います
しかも現役! 外から眺めるだけじゃなく ちゃんと今でも使用されているところが素晴らしい

この日はここでお花まつり
お釈迦様がお生まれになった日が4月8日ということで 灌仏会を催されたのですが 今年は融通念佛宗の担当ということで 1教区法蔵寺の大東師が中心になって走り回っておられました
私はといえば 式典の最後に短い法話を頼まれ 安請け合いをしたものの これほどの規模になるとは思ってもいなかったので…

「ん~、今さら帰られへんわなぁ…」
頭が痛い お腹が痛い 家族にアクシデント…等々
色々な言い訳を考えて 逃げようかとも思ったのですが 用意していただいたお弁当を完食してしまった状況ではそれもできず 「大老連(大阪市老人クラブ連合会)」の幹部の方々を前にして 頑張ってまいりました

これほどの規模のホール(1300人程収容)となると 普段の寺院での布教と異なり 聴衆一人一人の表情が見えにくく お話の間合いが取り難いのではないかと心配しましたが 思ったよりも皆さんの反応が良かったので 気持ちよくお話が出来ました

お話しというものは 演者が一方的に話すのではなく キャッチボールなんですよ
聴衆が反応をして 初めて次の言葉を話すことが出来るのです
その意味で 実に気持ち良くお話が出来ました 皆様に感謝です

4月早々 貴重な体験をさせて頂きました
これから3年 布教師会会長の立場で引き続き頑張って参ります どうぞこれからもご支援の程よろしくお願い申し上げます

ところで 帰ってから家内に聞いたのですが ここのレストランのオムレツが大変美味しいとのこと この次は衣ではなく服を着てオムレツを食べに行きたいものです

春霞(はるかすみ)

この季節の海が好きです
正確には神戸の山手から見る瀬戸内海が好きです
太陽の光を反射する海に春霞がかかり ぼうっとした景色の中を船が行き交う…

春の海 ひねもすのたりのたりかな

この詩のように 何とも言えないゆっくりとした時間が流れ その景色の中に自分が同化していくように感じられ 何時間でも海を見つめて ぼ~っとしていたくなります

或る檀家様が 須磨に住んでおられ 月に一度お参りに寄せていただくのですがこの季節になると マンションの5階から眺める瀬戸内の景色が 何とも言えずお勤めが終わってから お勤めの時間よりも長くベランダから海を眺めさせてもらっています
 
景色というのは クリアーに見えることも良いのですが 少し霞がかかったように見える方が 一枚の絵画を見ているようで 不思議な落ち着きを感じることがあります
 
人間の生活もまた同じで 何もかもが見えすぎてしまうと かえって疲れてしまうこともままあるように思えます
ほんの少しの内緒 薄いベールがかかっている方が その人をより魅力的に見せたり 見たくないところを上手く隠してくれる効果があるのではないでしょうか

まっ それはともかく 頭が疲れたとき 精神的に「疲れたな…」と思ったとき 一度この季節の海を眺めて「ぼけ~っ」とするのも良いのでは!?

平成最後の・・・

明けましておめでとうございます!

今年もつぶやきをよろしくお願い申し上げます。

さて、いよいよ「平成」と呼ばれる時代が終わりを迎えます。

年始早々くだらないことで申し訳ないのですが、私たち僧侶は、年号が変わるたびに困ることがあります。

それは、年忌(法事)の計算がややこしくなるということです。一周忌や七回忌くらいならまだしも、三十三回忌くらいになりますと、計算がややこしくなり、例えば平成元年と昭和六十四年がくっついて「ああ~!どないなるねん!」と、知能指数が低い私は行き詰ってしまうのです。

まあ、それはさておき、大正15年と昭和元年、昭和64年と平成元年。このように同じ年でありながら元号が異なる二つの時代が存在する場合、どちらが時代として優先されるのでしょう?

単純な疑問ですが、来年1月に生まれた子供は平成三十一年生まれといわれ、来年六月生まれの子供は新元号の生まれと区別され、これから百年もたてば・・・ああ、ややこしい!

考えるだけでもややこしいです。いっそのこと元旦から新元号に変えてくれれば良いのに・・・そんなことを考えながら、時間を過ごしてる私は単細胞人間です。

考えてみれば、いつの時代も仏さまの眼で見れば、至極単純な事ばかりなのです。ややこしくしているのは、いつも私たち人間であるということ。一年という単位も人間が便宜上作ったものであり、時の流れに区切りなど作ることは不可能なのだということ。

単なる春夏秋冬の繰り返しであり、その繰り返しの中で、出会いと別れを重ねているのが私たち人間なのです。そこに元号などというものを組み込もうとするものだから、人間は本当にややこしいことが好きなのですね。

ともあれ、今年一年がややこしくない一年でありますように。


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