明けましておめでとうございます!
今年もつぶやきをよろしくお願い申し上げます。
さて、いよいよ「平成」と呼ばれる時代が終わりを迎えます。
年始早々くだらないことで申し訳ないのですが、私たち僧侶は、年号が変わるたびに困ることがあります。
それは、年忌(法事)の計算がややこしくなるということです。一周忌や七回忌くらいならまだしも、三十三回忌くらいになりますと、計算がややこしくなり、例えば平成元年と昭和六十四年がくっついて「ああ~!どないなるねん!」と、知能指数が低い私は行き詰ってしまうのです。
まあ、それはさておき、大正15年と昭和元年、昭和64年と平成元年。このように同じ年でありながら元号が異なる二つの時代が存在する場合、どちらが時代として優先されるのでしょう?
単純な疑問ですが、来年1月に生まれた子供は平成三十一年生まれといわれ、来年六月生まれの子供は新元号の生まれと区別され、これから百年もたてば・・・ああ、ややこしい!
考えるだけでもややこしいです。いっそのこと元旦から新元号に変えてくれれば良いのに・・・そんなことを考えながら、時間を過ごしてる私は単細胞人間です。
考えてみれば、いつの時代も仏さまの眼で見れば、至極単純な事ばかりなのです。ややこしくしているのは、いつも私たち人間であるということ。一年という単位も人間が便宜上作ったものであり、時の流れに区切りなど作ることは不可能なのだということ。
単なる春夏秋冬の繰り返しであり、その繰り返しの中で、出会いと別れを重ねているのが私たち人間なのです。そこに元号などというものを組み込もうとするものだから、人間は本当にややこしいことが好きなのですね。
ともあれ、今年一年がややこしくない一年でありますように。