時節

平成最後の・・・

明けましておめでとうございます!

今年もつぶやきをよろしくお願い申し上げます。

さて、いよいよ「平成」と呼ばれる時代が終わりを迎えます。

年始早々くだらないことで申し訳ないのですが、私たち僧侶は、年号が変わるたびに困ることがあります。

それは、年忌(法事)の計算がややこしくなるということです。一周忌や七回忌くらいならまだしも、三十三回忌くらいになりますと、計算がややこしくなり、例えば平成元年と昭和六十四年がくっついて「ああ~!どないなるねん!」と、知能指数が低い私は行き詰ってしまうのです。

まあ、それはさておき、大正15年と昭和元年、昭和64年と平成元年。このように同じ年でありながら元号が異なる二つの時代が存在する場合、どちらが時代として優先されるのでしょう?

単純な疑問ですが、来年1月に生まれた子供は平成三十一年生まれといわれ、来年六月生まれの子供は新元号の生まれと区別され、これから百年もたてば・・・ああ、ややこしい!

考えるだけでもややこしいです。いっそのこと元旦から新元号に変えてくれれば良いのに・・・そんなことを考えながら、時間を過ごしてる私は単細胞人間です。

考えてみれば、いつの時代も仏さまの眼で見れば、至極単純な事ばかりなのです。ややこしくしているのは、いつも私たち人間であるということ。一年という単位も人間が便宜上作ったものであり、時の流れに区切りなど作ることは不可能なのだということ。

単なる春夏秋冬の繰り返しであり、その繰り返しの中で、出会いと別れを重ねているのが私たち人間なのです。そこに元号などというものを組み込もうとするものだから、人間は本当にややこしいことが好きなのですね。

ともあれ、今年一年がややこしくない一年でありますように。


今年も押し迫ってきました

いつも「会長のつぶやき」をお読みいただき誠に有り難うございます。

平成30年ももう残り少なくなって参りました。折角なので、ここで私のお寺の年越しをご紹介いたします。

12月ともなりますと、師走と呼ばれるようにお坊様は忙しくなります。と、言うよりも気分的に慌しくなります。私のお寺では12月にも法要があり、それと並行して、ご本山の「御回在」という行事の唱導師として、何日かご本尊様のお供をさせていただきます。

この御回在の最終日「御帰院」が、12月17日。もちろんこの日は、会長が唱導師を務めなくてはなりません。

これが済んで、やっと自坊の法務に本格復帰。年賀状はクリスマスが終わった頃から、数日間半分徹夜で書き上げます。

最近はパソコンで宛名までを印刷される方が増えましたが、私はせめて宛名だけは毛筆に拘りたいと、一枚ずつ手作業です。

30日には、早朝からお餅つき。 本堂にお供えする鏡餅や、お正月にいただく小餅を拵え、その後から本堂や地蔵堂などの大掃除と、お正月バージョンの飾りつけを31日にかけて行います。

30日頃から、檀家の方々が、自宅で作った鏡餅や、お米、もち米等をお持ち下さり、それを本堂の正面にお供えしていきます。

31日は朝から檀家役員の方々が、除夜の鐘の準備にお越し下さり、照明などをセッティングして下さいます。

私は元日にお年賀に来られる方の為、昔から使っている一人用火鉢を並べ、炭の準備をしておきます。

そう言えば、暖房に火鉢を使うようなお宅は本当に無くなりましたね。 私のお寺でも一年でお正月だけになりました。炭のいこし方(火の付け方)も家族で私しか知りません。息子たちにはこの技(?)を伝えておかねばと思っています。

夜10時半位から、役員の方々が集まって来られ、お参りの方々にふるまう甘酒を準備。

除夜の鐘は11時40分頃から打ちだすのですが、早い方は11時ころから並んでおられます。

撤収は大体日が変わって午前2時位となります。役員の方々が帰られたら、本堂に上がって一時間ほどのお勤め。3時過ぎにやっとお布団に入ります。

・・・と、思ったら5時には起床。火鉢に火を入れ、本堂のお茶を変えて、顔を洗ってからさらに1時間弱のお勤め。

7時をまわるとぼちぼちとお年始の挨拶にお客様が来られます。朦朧とする頭で、お相手をして、お昼過ぎに本堂から降りて、やっと家族と新年の挨拶、そしてお屠蘇とお雑煮を頂き、布団に入って撃沈!

最近特に思うのですが、こんな年越しを一体あと何年続けられるのだろう?

今の私の切なる願いは、・・・楽隠居!

1日も早く住職という立場をバトンタッチしたいと願う今日この頃です。


一匹の猿と家内


この時期になると思い出すことが一つ

もうかれこれ三年くらい前になるかと思います

朝 家内がお寺の裏手に洗濯物を干しに行ったと思ったら 慌てて帰ってきました

「猿がいてるっ!」

一瞬 何のことか理解できずに 「へっ?」

「猿、サル、さる~!」

「人の顔を見て 猿 サル 言うなっ!」

「違うねん 裏の柿の木に猿がいてるっ!」

とりあえず裏に行ってみると 確かに一匹の猿が 柿の木から美味しそうな実を一つ手に取って 逃げていくではありませんかっ!

見ているうちに 近くにあった電信柱に スルスルっとよじ登り 下で騒いでいる私たちを高みの見物

「さすが猿だけあって電柱に上るのは上手やな」

感心して眺めていると 私の横から家内が猿に向かって 「う~っ、う~っ」

「あんた何を言ってるの?」と言うよりも早く 電柱上の猿が 「ウッ、ウッ、ウッ」

「あぁ… 猿もちゃんと会話ができるんや… いやいやいや! あなた いつから猿と会話ができるようになったん?」

「いや 何か反応があるかなぁ~と思って」 私の家内は 面白い発想をする人ですその発想と行動が やや単調になりがちな家庭生活に 今までに無かった色合いをもたらしてくれました

「これは当分笑えるな」

猿はそのまま電線伝いに逃げていきましたが 一匹の猿にとった家内の行動に あらためて人間の生活の中には「一服の清涼剤がとても大切なんだ」ということに気付かされました

結婚して四半世紀は経ちましたが、私は全く退屈をしておりません

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