時節

花粉症なるもの

正直に申し上げて 春は辛い!

この世に”花粉症“なるものが存在することが苦である。

かれこれ30年以上の付き合いになりますが、2月半ばにはクシャミに鼻水、目のかゆみが止まらなくなります。とりわけ、朝起床した時の症状が酷く、朝の勤行はお経の合間にクシャミが混じります。

この症状が6月の頭まで続き、梅雨入りとともに去っていくのです。

まさに ”ゴーン・ウィズ・ザ・レイン“

 

この期間中、抗アレルギー薬のお世話になるのですが、私は耳鼻科に行くことはありません。鼻の穴にチューブを突っ込まれるのが嫌で、いつも内科のお医者様にお願いをして、薬を処方してもらっています。

それでも症状がきついときは(本当は良くないことなのですが…)、さらに追加で市販のアレルギー薬を重ね飲みします。

お檀家さんでの法事や、お葬式などで鼻をズルズルしながらお勤めすることはできず、ましてやクシャミなど論外です。

本当はダースベーダーのマスクがあれば嬉しいのですが、黒衣の上にそんなものを被れば 「和風星間戦争(ジャパニーズ・スター・ウォーズ)」のコスチュームになってしまい、現実的ではありません。

 

最近になって新しい考えをするようになりました。

それは「まだ杉やヒノキの花粉で苦しむのは幸せな方である」ということです。

もし蓮の花の花粉にアレルギーを起こしてしまえば、極楽に行くことを諦めざるを得なくなるからです。

この世に住まわせて頂くのは、せいぜい80〜90年かそこら。

この世に生まれる前、この世を去った後の方が長いのです。

宇宙の誕生から現在までを1年とするならば、人の一生は目の瞬き一回分の時間でしかありません。

 

花粉症を苦ととるか 幸ととるか。

すべてはおのれ自身の心が決めること。これ即ち『心外無別法』。

 

私はまだまだ幸せなんだと思いながらも、しばらくは苦行の日々が続きます。

 

 

梅一輪

今朝、自坊の中庭にある紅梅が一輪の花をつけていました。

 

「あぁ もうそんな季節なんだ…」

今年の冬は例年になく寒い日が続き、日本海側では記録的な大雪が降ったというのに、季節だけは歩みを止めず、一輪の梅花を咲かせました。

 

私はこの時期の梅が大好きです。

咲き誇っている梅よりも、その蕾を大きく膨らませ、今まさに咲こうとしている姿に、何故か愛おしさを感じるのです。

 

冬の厳しい試練に耐え、「暖かい春の日差しをいっぱい浴びるんだ!」

そんな声が聞こえてきそうで、思わず「よく頑張ったね」と、声をかけてあげたくなるのです。

 

人も同じ

長い雌伏の時を経て、いよいよ希望の大空へと飛び立とうとする時、心からの声援を贈りたくなります。

 

一輪の花が咲くとき、他の蕾にも十分な力が宿り、いつ咲こうかと順番を待っているように、人もまた飛び立とうとする時には、全身の細胞にエネルギーがみなぎり、胸の高鳴りを抑えきれずにソワソワ…

 

春は巣立ちの季節。

春が巡りくるたび、「希望」という名のエネルギーに満ちた若者たちが街に溢れ、その姿を見ている私にまで「元気」をおすそ分けしてくれます。

 

だから私はいつも心の中で叫ぶんです。

「頑張れ~!」

 

梅一輪。

一輪の花の姿にも、心を温め、そして希望を与えてくれる力があるのです。

学級閉鎖にふと思う

今日、お檀家さんに寄せて頂くと、小学生のお孫さんが、なにやら退屈そう…。

お祖母さんの訊くと、「インフルエンザで学級閉鎖になりましてん」とのこと。

 

「やれやれ それは大変ですねぇ」

「そうですねん。時間を持て余して 機嫌悪〜て 大人の方がくたくたですわぁ…」

 

なんでも、病気に罹らないように、休み中も外出しないようにと、お達しが出ているそうです。

そりゃあ体を持て余ますはず! 元気な子なら尚更です。

 

自分の子供時代はどうだったかなぁ〜

そう云えば、自分の小学校時代に「学級閉鎖」なんてあったっけ?!

あったような気もするし、無かったような気もする…

半世紀も前の話ですから 記憶も曖昧です。

 

でも、学校が突然お休みになろうものなら、先頭切って外の野山を走り回っていた記憶は、はっきりと残っています。

 

パソコンもゲーム機もなく、外を駆け回ることが‘遊び’だった時代。

「あれはダメ これもダメ!」と、過度な制限を受けることは少なかったですが、本当に体がしんどければ、誰に言われなくとも、布団をかぶって寝ていました。

 

こんな出来事を通して、インフルエンザに限らず「自分の体は自分で守る」という、自己判断の習慣を養っていけたように思います。

 

何か不測の事態が起こった時、誰かに頼らなくても、自分で責任をもって道を切り開いていく…

多少の「おいた」なら許してもらえた教育環境は、私にとって 良き自分つくりの時間 であったように感じます。

 

今はこうした教育は、敬遠されがちのように思います。

 

これって幸せなのか それとも…

時代の変わりように、ふと考えてしまいました。

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