個人的な話になりますが、今月18日は私の○○回目の誕生日でした。
この歳になりますと、それほど嬉しいということも無く、むしろ自分の年齢に違和感さえ覚えるようになります。
本当にこの年齢でよいのだろうか…
「年相応」という言葉がありますが、人格的にまだ実年齢に追いつけていない自分に、焦りにも似た感覚があります。
それでも「誕生日おめでとう!」と言ってもらえないと淋しくもあり、人間天邪鬼なんですね。
この日、最初に「誕生日おめでとう」とお祝いの言葉をもらったのは、家族ではなくFBのお友達でした。家族は知ってか知らずか、誰も言葉が無く、「おはよう」の言葉だけ。
少し寂しい思いをしながら、午後からの本山での布教師の会議に行きますと、若手のTさんが、「今日は会長の誕生日ですね、コンビニスウィーツですが…」
そう言って、会議に出席しているメンバーの分までスウィーツを用意して持ってきてくれたのです。
嬉しかったです!
「嗚呼、布教師会は家族よりも暖かい!」
まっ それは言い過ぎかもしれませんが、気分良く誕生日を過ごすことが出来ました。勿論お寺に帰ると、家内は私の為にワインメニューを用意してくれていて、「忘れ去られたわけではなかった。」と、少しホッとしました。
子供たちは抜けていたようでしたが…
結局、人は忘れ去られるということが一番淋しいのではないでしょうか?
それは生きている人も、既に亡くなられた人も同じだと思います。誰もが歴史に名を残すことはできませんし、家族や友人に覚えてもらって自分という存在を残していくしかないのです。それはそれで淋しいものですね。
ちなみに、翌日は家内の誕生日でした。何故か子供たちは皆覚えていました。
二日続けて淋しい思いをした私でした。