行ってきました

同窓会にて

毎年お正月に大学時代の同窓会を開いています。

私は学生時代、工学部応用物理学科で学び、全く関係のない家業(?)であるお寺を継ぎましたので、同窓会に行くのはちょっと気が引けるのですが、毎年懐かしい顔に会えることが楽しみで、ほぼ毎回出席しております。

今年は入学40周年にあたり、久しぶりに懐かしい顔ぶれにも会うことが出来ました。

その中に、本当に久しぶりに顔を出してくれた奈良県に住む一人の友人がいました。

その彼は、何といつの間にか目が不自由になっていたのです。私の隣に座った彼は、「視界のほとんどが渦を巻いたように見え、端っこの方だけがまともに見える」と言っていました。

学校の教師をしていた彼は、それでも病気に負けずに、今も数学の教師をしています。「盲学校の中学から高校までの数学を教えている…」 そう話してくれました。

目が不自由な身でありながら、それでもなお同じ境遇にある生徒たちに数学を教えているという、その姿に私はこれ以上ないほどの敬意を抱きました。

さらに話を聴くと、なんと彼は自宅が農家なので、田を耕し、野菜を作り、その為にトラクターまで乗りこなしているというではありませんか!

「おい、そんなことして大丈夫か?」

「運転免許は返したけれど、トラクターなんかは自宅の敷地内やから、問題なく乗れるねん」

わずかに視える視界の端っこから、道の状態を確認し、田を耕し、刈り入れを行っているのだそうです。

「よし、そうしたら今年お前の田んぼで新米が取れたら、連絡してくれよ。お米を一袋買いに行くから、特別に美味しいお米を作ってくれよ」 そんな約束までしました。

そして彼がトイレに立とうとすると、今度は「よっしゃ、一緒に行こう。」と周りの友人が立ち上がり、腕を引くわけでもなく、背中を押すわけでもなく、彼の歩くペースに合わせて並んで歩いていくではないですか。そんな姿を見て、

「ああ、友達というのはいいものだなぁ」 つくづくそう感じました。

私たちは、例え五体が満足であっても、欠点のない人間は一人もいません。

その欠点に自分自身が気付いていても、いなくても、それをカバーしてくれる人がいるからこそ、私たちは生きていく事が出来るのです。

この友人たちのように、黙って一緒に歩いてくれる人がいるから、立ち上がることが出来るのです。

眼が不自由でも、負けることなく前を向いて歩き続ける友人に、人としての勇気をもらい、そっと寄り添う友人たちに暖かい「お陰様の心」を感じさせてもらった同窓会でした。

友、遠方より集まる。また嬉しからずや!

人のつながりということ

先日 一泊二日で函館に行って参りました
 
「なんと慌しい!」
…と おっしゃられるかも知れませんが こう見えても私忙しいのです
その昔 函館を日帰りで行かれたお坊様もおられるので その方よりは少しゆっくりです

それはさて置き 今回は ある方にお会いするのが一番の目的でした

その方とは…

函館自由市場にお店を構えるオッチャン!
「出会いは もう10年以上前のことになります」とはいっても 直接お会いした事はなく 年末 電話とファックスで お節料理用のカズノコなどを送ってもらったことが最初です
送料を入れても 値段はこちらで買うのとさほど変わらず
味ははるかに↑とくれば これは買わないわけにはまいりません
毎年 年末になると家内が電話をします

「オッチャーン! 今年もよろしく~!」

電話では 毎度のお馴染みさんになっているにもかかわらず まだ一度もお顔を見たことがない
いつも家内と「一度会いに行きたいね」と話していたのですが 願い叶って 今回の函館行きとなったのです

「ほんとに会いに来てくれたの~!」

もう無茶苦茶喜んで下さいました
他のお客様を放ったらかしに おしゃべりが止まらなくなってしまいました

お店の商品を「これが美味しい これも美味しい」
おすすめを買っていたら 店ごと買い取らないといけないくらいの勢いでした

最後には 並んで記念写真撮影
「もう大阪に帰っちゃうの? 今度はいつ来るの?」

ほんのわずかな時間ではあっても これ程喜んでいただけるとは思っていなかったので 私も家内も本当に喜び一杯で函館を後にしました。

今の時代はネットが全盛で 商品も画面を眺めてクリックするだけ 早ければ翌日には品物が届きます
でも よくよく考えてみれば 注文をするのも人間(ひと)なれば それを受けるのも人間(ひと)なんです
コンピュータというものが間に入っただけで 相手の顔も声も見えなくなり 気持ちのつながりが ぷっつりと途切れてしまいます
勿論、その方が良いとおっしゃる方もおられるでしょう
ですが 以前のように人の温もりまでが断たれてしまい それが本当に社会なのだと言えるのでしょうか!?

人と人の温もりが通い合ってこそ 繫がりは深まるのです
これからの世の中にこそ 人のつながりを深めて行くことが求められてくるのではないでしょうか

研修に行って参りました

一月末日、京都は妙心寺まで布教師会の研修に行って参りました
この研修は、臨済宗妙心寺派の布教師の方々の研修会なのですが、ご縁があって、もう十年以上前から参加をさせていただいています
今回は融通念佛宗の宗務総長様、教学部長様もお越し下さり、総勢12名で参加させていただきました
毎回感じることですが、やはり大きな宗派には沢山の人脈があり、毎回お越し下さる講師の先生方も多岐にわたり、実に羨ましい限りです

今回、御二人目に講師は、はるばる東京からお越し下さり、なんでも「ためしてガッテン」や「ぶっちゃけ寺」にも出演されたことがある臨済宗のお坊様でした

講義の中で、とても印象に残る言葉がありました
「‘やりたくないな’と思う依頼は引き受けるようにしています」という言葉です
この言葉の裏には、若い頃の苦い思い出があったそうなのですが、もの事を前にして逃げずに対処して行く姿勢というものは、素晴らしいと思います

私も「やりたくないな」と思ったことは沢山あります。「どうしようか!?」と迷った揚げ句、そこから逃げたことも正直何度もあります

その結果得たものは、例えようのない後悔でした
昔のことを思い出して、くよくよしても仕方のないことですが、未だに引きずっていることもあります

「やりたくないな…」「嫌だな…」と感じる事柄に、本当はとても大切な事、今でなくてはいけない事が隠れていることもあるように思います

「この時を逃しては、二度とめぐり合うことが出来ない事」が、本当に沢山あるのです。それが「ご縁」です
どんな事にも真正面から向き合っていくことが、一度きりの人生を豊かに、そして充実したものにして行くことが出来るのだと思います
まあ最低でも「やっておけば良かった」という後悔はしなくてすみますよ!

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