宇宙ステーションが飛んでいく

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何日か前のこと、夕方に家内が意気込んで言いました。
「今夜、宇宙ステーションが見られるねんて!」
「何時ころ?」
「今夜9時前くらいからやって。西南西から北東に飛んで行くねんて。」

昔天体少年だった私の眠っていた夢が広がります。
「私も見よう!」
 
なんでも、宇宙ステーションが日本で見られる時間も、全てスマホで知ることが出来るんだそうです。凄い!・・・というよりは、最近のスマホは何でもありですね。時代遅れのオジサンにはちょっとついていけません。

少しうす雲がかかってはいたのですが、良く見えました。
山の端からス~っと見え始め、音も無く(当たり前か)スムーズに上空を過ぎ去っていく。確かに普通の人工衛星とは異なり、普通の光点ではなく光点をわずかに横に伸ばした感じに見えるので、すぐに宇宙ステーションだと分かります。

そこでふと思いました。
「今、宇宙ステーションに乗っている人には、見上げている私たちのことは見えてはいないのだろうけれど、こうして私たち夫婦のように、飛んでる姿を沢山の眼が追いかけていることに気付いているのだろうか?」
「宇宙飛行士の眼からは、地上に暮らす私たちなど微生物くらいにしか見えてはいないんだろうなあ。」

当然そう考えると、私たちの日々の暮らしなど実にとるに足らないものに思えてきます。その取るに足らないような暮らしの中に喜怒哀楽があり、笑ったり苦しんだり腹を立てたりと、忙しいものです。

大宇宙の中の、本当にささやかでささやかすぎる人生。今悩んでいることなど、何ということも無い。流れ星が流れるほどの時間に過ぎないのだと、思い直してみれば、少しは心も軽くなるのでは?
…なんて考えてるうちに宇宙ステーションは北東の空のかなたに消えて行ってしまいました。

5月のある一日

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コロナに自宅で待機を余儀なくされておられる方、いかがお過ごしでしょうか?
僧侶である私も、お参りに出かけることが減り、自宅待機ならぬ自坊待機が増えました。

こんな時に何をするのか?
私のお寺には裏に竹藪があり、春にはタケノコがわんさかと上がってきます。以前にもお話ししたかもしれませんが、三月終わりから四月の終わりにかけて、タケノコを毎朝掘りに出かけ、檀家の皆さんに配って回ります。

五月に入ると、タケノコは上がっては来るものの種類が変わり、さほど美味しいものではなくなるので、今度は折って回らなくてはなりません。
このルーティンは二日ごと、そのあいだの日には、剪定鋏をもって竹藪に入り、伸びてきたその他の木々の枝を剪定していきます。竹藪とはいっても元々普通の裏山だったところに竹が侵食してきて現在の姿になったのです。

そんな訳で、五月の私は肉体労働者。今年は何故か毛虫が多くて、気を付けながらの作業になります。先日は足下近くでガサガサと音がしたので、見るとマムシが逃げていくところでした。長靴を履いているとはいえ、咬まれなくてよかったです。

で、本日はお昼から衣替えを始めました。
今年は残念ながら万部の練り供養は無くなりましたが、本山でも毎年万部が明ければ、御回在の衣は夏衣になります。
始めたのは良いのですが、朝の間の肉体労働がたたり、衣は自分でしたものの、普段の服などは、家内にほとんどすべて丸投げしてしまいました。

ここで、新発見!
最近の防虫剤というのは種類が増えて、なんと半年に一度タンスやクローゼットにスプレーするだけで洋服を守ってくれるという優れものがあるんですね!
家庭の環境にもよるとは思いますが、めんどくさがり屋の私にとっては何とも有り難い一品であります。
そして衣替えが終わると、お盆の経木塔婆を書きはじめるという、夏に向けた準備が始まります。

こうしてみると一年間、何がしか繋がってゆくものなのですね。自宅待機でもお仕事沢山、結構疲れます。

特選ギフトカタログを巡って

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最近、お祝いやお香典などのお返しにフリーチョイスのギフトカタログをいただくことが増えてきました。
あのカタログを開くときのワクワク感というものは堪えられません。
何を注文しようか!? どんな品があるんだろう!?
ページをめくる度に夢が広がります。
基本的に、我が家は食べ物系。

「カニが良い!」
「いや、ここはお肉でしょう。」
「ソーセージも捨て難い。」
「こっちは神戸牛があるよ!」
夢が広がり、やがては家族の中でバトルが始まります。

普段、自腹で美味しいお肉など買うことが無く、お財布と体に良いからと、お肉と言えば鶏肉に傾きがちな我が家に(すみません、お坊さんでもお肉はいただくこともあります)降って湧いた贅沢。
バトルを制してハガキに注文の品を書き込み、ハガキを投函してからの待ち遠しい日々。

…そんなことを書いてくると「普段どんな食生活をしているのか!?」と思われるかも知れませんが、ここで申し上げたいことは、ささやかなことに喜びを感じるということが、生活を明るく夢のあるものに変えていけるという事なんです。

コロナという目に見えないものに怯え、家の中で小さくなっている昨今。私たちは身近にあるものの中に幸せを見つけていくことが大切なのではないでしょうか。

仏教には「知足」という教えがあります。足ることを知るという教えは、「欲をかかずに我慢しなさい。」という意味もありますが、むしろ「自分の周りには気付かない沢山の幸せがあるんですよ。そして、そのことにしっかり気付いていきなさい。」ということなのです。

こんなご時世だからこそ、日々の幸せ探しをしていこうじゃないですか。

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