私のお寺には 栗の木が一本あります。
今年もたわわに実をつけて、触ると痛いけれども栗のイガが弾けて、今にも美味しそうな実とともに落ちてきそうに実っています。
でも難儀が一つ。この木が道路に面していること。大きく伸ばした枝が道路上にあること。そして、その枝に沢山実がなっていること。
先日からこの木を見上げるたびに、実が少なくなっていることに気づき、慌てて道路脇の土手のあたりを探すのですが、沢山落ちている”いがぐり″の中身はすでに空っぽ。
道行く方々が栗拾いをして、外側だけを残して帰って行かれるのです。(涙)
こればかりは私としても何とも言いようが無く、悲しい思いをしながらも、「これもお寺の功徳のおすそ分け…」と、自分に言い聞かせていました。
そんな時、とある檀家の奥さんが、「栗が沢山採れたから…」と、袋一杯の丸々と膨れた栗をおすそ分けしてくださったのです。
捨てる神あれば拾う神あり
いや、拾われる栗あれば頂ける栗あり
数日後、この栗は「栗ごはん」に姿を変えておりました。
丸々とした栗がいっぱい入った栗ごはん。
秋を味わう何よりのごちそうでした。
今から思えば、「うちの仏様も栗ごはんをお食べになりたかったのかな?」
いや、情けは人の為ならず。お寺に実った栗が、回りまわってお寺に戻ってきたのかも?
よしっ!
次は、道路わきに松の木を植えて松茸を… それはさすがに飛躍しすぎ!