栗ごはん

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私のお寺には 栗の木が一本あります。

今年もたわわに実をつけて、触ると痛いけれども栗のイガが弾けて、今にも美味しそうな実とともに落ちてきそうに実っています。

でも難儀が一つ。この木が道路に面していること。大きく伸ばした枝が道路上にあること。そして、その枝に沢山実がなっていること。

先日からこの木を見上げるたびに、実が少なくなっていることに気づき、慌てて道路脇の土手のあたりを探すのですが、沢山落ちている”いがぐり″の中身はすでに空っぽ。

道行く方々が栗拾いをして、外側だけを残して帰って行かれるのです。(涙)

こればかりは私としても何とも言いようが無く、悲しい思いをしながらも、「これもお寺の功徳のおすそ分け…」と、自分に言い聞かせていました。

そんな時、とある檀家の奥さんが、「栗が沢山採れたから…」と、袋一杯の丸々と膨れた栗をおすそ分けしてくださったのです。

捨てる神あれば拾う神あり

いや、拾われる栗あれば頂ける栗あり

数日後、この栗は「栗ごはん」に姿を変えておりました。

丸々とした栗がいっぱい入った栗ごはん。

秋を味わう何よりのごちそうでした。

今から思えば、「うちの仏様も栗ごはんをお食べになりたかったのかな?」

いや、情けは人の為ならず。お寺に実った栗が、回りまわってお寺に戻ってきたのかも?

よしっ!

次は、道路わきに松の木を植えて松茸を… それはさすがに飛躍しすぎ!

肌寒くなってきました

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これを書いている今、外気温は17℃。

室内もけっこう寒いです。

昨日は天候にも恵まれ、心地よく一日を過ごせましたが、今日は朝から雨が降り出しました。

 

雨が降り出す前にと思い、庭に植えているトマトを収穫に行ったのですが…

頃合いに赤くなった実を採ってみると“ショック!!!”

なんと そのうちの半分がナメクジに食べられているではありませんかっ!

心の中まで冷たい雨が降り出しそうになりました。

 

この時期(10月初旬)は、日中の気温と朝晩の気温差が大きいので、体調の維持が難しいです。

それでも負けじと“スッポンエキス”を飲みながら頑張っているのですが、雨で気温があまり上がらず。鬱陶しい空を見上げていると「もうすぐ寒い冬がやってくるんだなぁ…」と、心の中まで気温が低下してきそうです。どうやら、スッポンエキスも 心の中までは元気にはしてくれそうにありません。

 

そんな中、思わず心の中がほっこりするような出来事がありました。

昨日、本山の御回在にて、あるお宅に寄せていただいたとき、一人の幼子が待っていてくれました。

まだ2歳にもならない男の子が、若いお母さんの膝に座り私を迎えてくれたのです。

「もう何年前になるだろう…!?」

自分の子供たちが幼かった頃の事を思い出し、思わず「こっちへおいで!」と、自分の膝をたたいてその子を招いたところ、素直に私の膝に座ってくれたのです。

 

私以上に家族の方々が驚いておられました。

「初めての方に こんなに抵抗なく膝に座りに行くようなことは初めてです。」と お祖母さんがおっしゃっていました。

すぐに母親のところに戻ってしまいましたが、私の膝にはその子が残していった体温が、しっかりと残っていました。

幼子の心は、まるで仏様のような温もりを持っています。触れるものみんなに春の暖かさを与えてくれます。

それは、固く凍り付いた世界を春の日差しが溶かしていくように、固まった心を解し、本当の暖かさとは何かを教えてくれているようです。

「このお宅は、いま暖かい心に満ちているのだろうな。」

そんな思いで昨日一日を過ごさせてもらいました。

寒い冬を快く思わない日もありますが誰もが、暖かさが心に沁みる季節なんです。

 

寒くなるからこそ、本当の暖かさを見つけられる…

寒くなるのも良いものです。

今年も咲きました

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彼岸花 今年も咲きました!

 

不思議です なぜお彼岸になると赤い花が咲くのでしょう。

「曼殊沙華」というよりは、私たち僧侶にとっては「彼岸花」と呼んだ方が 何故かしっくりときます。

秋の彼岸になると、必ず美しく咲いてくれるのがうれしいです。

桜が咲くと、春が来たと感じるのと同様に、彼岸花が咲くといよいよ秋が本格的に始まることを予感させてくれます。

 

稲穂が垂れた田んぼの畦道に、黄色と対称をなす赤い色。

日本に生まれてよかったと実感させられる景色です。

この時期 私たち僧侶は、お彼岸の行事に走り回っておりますが、ふとした時に赤い色に心が和みます。

これからいよいよ実りの秋を迎え、師走へと向かっていくわけですが、季節季節を代表する花があり、それを愛でることのできる心のゆとりがあることを私たちは喜ばねばなりません。

 

幸せというものは、いつもと変わらない毎日が過ごせるということ。

朝目が覚め、美味しく食事が食べられ、しっかりと仕事ができて、よく眠ることができる。

季節が廻ればその時々の花が咲き、春の到来を楽しみ、夏の涼風を喜び、秋の実りに感謝をして、寒い冬に本当の暖かさを知る。

この変わらない季節の営みの中で生きていることこそが、幸せなんだと思います。

 

残念ながら、実際は目の前の些末なことに心を奪われ、「なんでこんなに忙しいんだ!」などと、愚痴をこぼしながら今の私は走り回っております。

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