今年も押し迫ってきました

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いつも「会長のつぶやき」をお読みいただき誠に有り難うございます。

平成30年ももう残り少なくなって参りました。折角なので、ここで私のお寺の年越しをご紹介いたします。

12月ともなりますと、師走と呼ばれるようにお坊様は忙しくなります。と、言うよりも気分的に慌しくなります。私のお寺では12月にも法要があり、それと並行して、ご本山の「御回在」という行事の唱導師として、何日かご本尊様のお供をさせていただきます。

この御回在の最終日「御帰院」が、12月17日。もちろんこの日は、会長が唱導師を務めなくてはなりません。

これが済んで、やっと自坊の法務に本格復帰。年賀状はクリスマスが終わった頃から、数日間半分徹夜で書き上げます。

最近はパソコンで宛名までを印刷される方が増えましたが、私はせめて宛名だけは毛筆に拘りたいと、一枚ずつ手作業です。

30日には、早朝からお餅つき。 本堂にお供えする鏡餅や、お正月にいただく小餅を拵え、その後から本堂や地蔵堂などの大掃除と、お正月バージョンの飾りつけを31日にかけて行います。

30日頃から、檀家の方々が、自宅で作った鏡餅や、お米、もち米等をお持ち下さり、それを本堂の正面にお供えしていきます。

31日は朝から檀家役員の方々が、除夜の鐘の準備にお越し下さり、照明などをセッティングして下さいます。

私は元日にお年賀に来られる方の為、昔から使っている一人用火鉢を並べ、炭の準備をしておきます。

そう言えば、暖房に火鉢を使うようなお宅は本当に無くなりましたね。 私のお寺でも一年でお正月だけになりました。炭のいこし方(火の付け方)も家族で私しか知りません。息子たちにはこの技(?)を伝えておかねばと思っています。

夜10時半位から、役員の方々が集まって来られ、お参りの方々にふるまう甘酒を準備。

除夜の鐘は11時40分頃から打ちだすのですが、早い方は11時ころから並んでおられます。

撤収は大体日が変わって午前2時位となります。役員の方々が帰られたら、本堂に上がって一時間ほどのお勤め。3時過ぎにやっとお布団に入ります。

・・・と、思ったら5時には起床。火鉢に火を入れ、本堂のお茶を変えて、顔を洗ってからさらに1時間弱のお勤め。

7時をまわるとぼちぼちとお年始の挨拶にお客様が来られます。朦朧とする頭で、お相手をして、お昼過ぎに本堂から降りて、やっと家族と新年の挨拶、そしてお屠蘇とお雑煮を頂き、布団に入って撃沈!

最近特に思うのですが、こんな年越しを一体あと何年続けられるのだろう?

今の私の切なる願いは、・・・楽隠居!

1日も早く住職という立場をバトンタッチしたいと願う今日この頃です。


一斉に

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先日のことです。奈良県のとあるお寺でお話を始めた時のこと

ちょうど始めてから五分くらい経ったころに 本堂中に緊急地震速報が鳴り出しました

普段こういった場所では 携帯電話はマナーモードにされているものですが 緊急地震速報だけは そんなことお構いなしに 大きな音で危険を知らせてくれます

ただ やはり時と場所を選んでほしいもので 「さあ これからお話の本題に入っていこうか…」というところで 本堂の中にいる人たち全員の携帯が一斉に鳴り出すと(私を含めて) これはもう収拾がつかなくなってしまいます

確かに揺れはしたものの大したほどのものではなく すぐに収まりはしたのですが 本当の意味でのざわつきがその後に待っていました

まず数人の僧侶が 「大丈夫ですか?」などと横から声をかけてくる

「大丈夫、話が始まったところだから、邪魔をしないで下がっていて。」

そう声をかけて下がってもらったところに、お参りの皆さんが、皆一斉に携帯電話を取り出し、自宅に電話をかけ始めました。

揚げ句に「ちょっと家が心配だから 戻ってきますわ」などと 数人がいそいそと本堂から退出する始末

「もう揺れも収まったから大丈夫ですよ」と言ってはみるものの どなたも聞いて下さってません

何とか静けさを取り戻したのはそれから10分ほど経ったときでしょうか

つくづく「人間とは心の定まらない生き物であるな」と考えさせられました

「身はここに 心は信濃の善光寺」

ほんの些細な出来事で 体はお寺の本堂にありながら 心は自宅に舞い戻っているのですから…

私たちの心とは それほどに自由気ままに動き回るものなのです

そして それだけに自分の心をしっかりと捕まえて行くことが 修行だと言えるのです

12月は言わずと知れた「師走月」

心が定まらないと思わぬところで‘へま’をするかもしれません

皆さん くれぐれも心に用心をしてお過ごし下さいね

本山のお十夜

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ちょっと昔話を一つ と言っても30年ほど昔の話なんですが…

毎年11月14日は 総本山大念佛寺で「十夜法要」が行われます

私が布教師会に入らせていただいた頃は 現在と異なり 夕方5時からのお勤めでした

勤行やベテラン布教師によるお説教が三座あり10時過ぎからお参りの方々と小豆粥を頂きます

その頃は今よりもずっと寒く しかも夕方からの法要だったので いくらストーブを焚いても広すぎる本堂の中では全く効き目はありませんでした

お参りの方々もストーブの周りに集まって暖をとりながら それでも凍えるので 本山が用意した毛布にくるまって 手を合わせておられたことを覚えています

布教師会の末席に加わらせていただいて 自分以外の方々にビクビクとしていた頃の事 布教師会の部屋にいると緊張感に潰されそうになるので 本堂に座らせてもらうのですが こちらはこちらで寒さに苦しめられるという 自分の居場所を探すのに大変苦労をしていました

そして11時ごろからは 私のような布教師の卵に 本堂での一座が与えられるのです

持ち時間は一人30分 薄暗くて寒い本堂の中 それでもその中に数人の参拝者がおられました

今から思えば 本当に有り難いことです 寒さに凍える本堂の中 それも深夜に 私のような駆け出しの若造のお話を聴いてくださる方がいる 

「未熟者ではあっても 今夜この方々のために 自分にできる精一杯のお話をしよう」

そう誓って 一座を務めていました

今となっては良き思い出ではありますが その頃の経験が今の私のベースになっていることは間違いありません そして100人中99人が寝ていようとも たった一人の方が耳を傾けてくださっているなら その方のために全霊を傾けてお話をしようと心がけてきました

今の時代 自分を磨かせてもらえる場所をそっと提供してもらえるようなことは 随分と難しくなりました その意味で 現在の若手の布教師さんは可哀そうに思えますが どうか自分で勉強の場所を見つけて 努力を惜しまず進んでいただきたいと思います

まだ私が20代のぴちぴちの若者だった頃の懐かしい思い出でした

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