桜の季節に

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今年も桜の季節がやってきました

この冬は例年に無く寒い冬で、日本海側ではかなりの雪が積もったというのに、これまた例年より早く、桜が満開となりました

 

人間とは面白いもので、桜が満開になれば寒かった冬を忘れたかのように、お花見の宴が開かれ、花とお酒に酔いしれてしまいます

 

しかし、桜が何よりも美しく見えるのは、私たち自身があの暗く寒い冬を潜り抜けてきたからなのではないでしょうか

寒さに凍える冬があるからこそ、春の暖かさの喜びを知ることが出来るのです

 

およそ人の世も同じでしょう

人生には山もあれば谷もあります。晴れた日もあれば、土砂降りの日もあります

雨宿りしたくとも一本の木もなく、雨をしのぐ傘もない。ずぶ濡れで冷え切った体を温めてくれるものさえない

希望の光が見えない中で、すべてを投げ出してしまいたくなる…

 

そんな時こそ、私たちは歩みを止めてはいけないのです

辛いとき、苦しいとき、しっかりと足元を踏みしめて歩いていきなさい。歩いてゆけば、いつの日か必ず光の下に立つことが出来る

長年僧侶をしておりますと、不思議なくらいに、そんな姿を見て参ります。

幸せというものは長く続くことはありません。その代わり、不幸せもいつまでも続くものではないのです

浮かれた季節の中で、自分の足下をしっかりとみて歩いていきたいものです。

春の味わい

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今年は例年になく寒い冬でした。

これをしたためている3月初旬

嘘のような暖かさに 「あぁ もう春がそこまで来ている…」

そんな気分にさせられています。

 

そして今夜、我が家の食卓に ‘ふきのとう’ の天ぷらが並びました。

お寺の庭に自然に顔を出す食材です。

例年なら2月の下旬に食べているはずの食材が、この時期にまでずれ込むということは、やはり今年は寒かったということなのでしょう。

ほろ苦い味わいは何とも形容しがたい大人の味で、お酒のあてにピッタリです。

 

そして今月末からは、いよいよ筍の季節。

贅沢なお話ですが、お寺の裏山に、筍がわんさか顔を出してくれるのです。毎朝6時半頃から竹林に入り、多い時で30~40本掘り出してきます。

 

この時期の私は、お参りに出かける前に既に体はヘロヘロ。

掘った筍は檀家のお家へ順次お配りしています。

勿論我が家でもいろんな筍料理が食卓に彩を添えてくれます。

 

季節を味わうという楽しみは、今の時代とても贅沢なことだと思います。

スーパーに行けば、どんな季節の野菜でも手軽に手に入れることが出来、そのことで、人間が季節季節の食材の区別すら付けられなくなってきています。

その時にしか手に入らない食材を自分で苦労して手に入れ、それを美味しくいただけるのは、本当に幸せなことです。

 

毎年、整骨院のお世話になりながらも、筍料理に舌鼓をうつ私は、腰の痛みを差し引いてもやはり幸せ者なのでしょう。

花粉症なるもの

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正直に申し上げて 春は辛い!

この世に”花粉症“なるものが存在することが苦である。

かれこれ30年以上の付き合いになりますが、2月半ばにはクシャミに鼻水、目のかゆみが止まらなくなります。とりわけ、朝起床した時の症状が酷く、朝の勤行はお経の合間にクシャミが混じります。

この症状が6月の頭まで続き、梅雨入りとともに去っていくのです。

まさに ”ゴーン・ウィズ・ザ・レイン“

 

この期間中、抗アレルギー薬のお世話になるのですが、私は耳鼻科に行くことはありません。鼻の穴にチューブを突っ込まれるのが嫌で、いつも内科のお医者様にお願いをして、薬を処方してもらっています。

それでも症状がきついときは(本当は良くないことなのですが…)、さらに追加で市販のアレルギー薬を重ね飲みします。

お檀家さんでの法事や、お葬式などで鼻をズルズルしながらお勤めすることはできず、ましてやクシャミなど論外です。

本当はダースベーダーのマスクがあれば嬉しいのですが、黒衣の上にそんなものを被れば 「和風星間戦争(ジャパニーズ・スター・ウォーズ)」のコスチュームになってしまい、現実的ではありません。

 

最近になって新しい考えをするようになりました。

それは「まだ杉やヒノキの花粉で苦しむのは幸せな方である」ということです。

もし蓮の花の花粉にアレルギーを起こしてしまえば、極楽に行くことを諦めざるを得なくなるからです。

この世に住まわせて頂くのは、せいぜい80〜90年かそこら。

この世に生まれる前、この世を去った後の方が長いのです。

宇宙の誕生から現在までを1年とするならば、人の一生は目の瞬き一回分の時間でしかありません。

 

花粉症を苦ととるか 幸ととるか。

すべてはおのれ自身の心が決めること。これ即ち『心外無別法』。

 

私はまだまだ幸せなんだと思いながらも、しばらくは苦行の日々が続きます。

 

 

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