日和田に行ってきました

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今月2、3日と岐阜県高山市の日和田というところへ行って参りました。

融通念仏宗の方ならご存知の方も多いかと思いますが、野麦峠のすぐ近く、山また山の本当に山奥にある日和田集落に融通念仏が伝わっており、もう随分前になりますがこの地に「融通念仏伝承地」という石碑が建てられました。

日和田では昔、大雪の時期にお葬式ができた時には、麓からお坊さんが来られず、集落の人たちで融通念仏を称えて弔いをしたといいます。

私のお説教の師匠であった山本静章師が初めてこの地を訪ねられ、その後細々と交流が続いてきたのですが、この度石碑の周囲の土地を本山に寄進していただくこととなり、正式にその手続きが終了したことを受けて、本山から田中宗務総長、好野庶務部長、佐々木財務部長に私が加わり、日和田の地まで御礼を兼ねてご挨拶に行って参りました。

少し雨模様だったのですが、山深いところに石碑が建ち、それを日和田の方々が長い間お守りしてくださっていたのは本当に有難いことです。

この日和田の皆さんが、初めて本山大念佛寺にお参りくださったのは、確か大阪で花博が催されていた時であったと記憶しています。

5月の万部法要に日和田融通念仏を奉納してくださったのですが、そのあとの懇親会で、当時布教師会で一番若手であった私が日和田の皆さんにお酌をして回った記憶があります。

その時のことをお話しすると、皆さん大変驚いておられました。

あれから30年以上の月日が流れ、主だった方々は皆鬼籍に入られ、布教師会でも、日和田でもその時のことを覚えておられる方は随分少なくなってしまいました。

大切なことは、この交流をたとえお互いに遠く離れたところにあっても末永く続けていくこと。

コロナという如何ともしがたい壁はあっても、融通念仏のつながりを深めていくことが私たちの務めであり、これからの若い布教師の皆さんにも是非お願いしたいと思います。

雨に霞む山々を眺め、布教師会の先輩方が結ばれた絆を再確認させていただき、思いを新たにして帰途に就いたのでありました。

お墓参り

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お盆の一連の行事が終わり、ようやくホッとする日が続いています。

先日、お盆の間に行けなかった両親の里のお墓参りに行って参りました。

私の両親はどちらも滋賀県は長浜市の出身で、親戚のほとんどが長浜近郊に住んでおります。

長浜からいったいどのような経緯で大阪のしかも融通念仏宗の僧侶になり、お寺に入ったのか?

その経緯は私自身全て知っているわけではありません。師匠であった父があまり自身のことに触れることがなかったせいなのか、私があまり父親の生い立ちについて尋ねなかったせいなのか、今となってはもっと聞いておけばよかったと後悔しています。

ただ、いつも思うことは、これも「仏様に導かれるようにお寺に入った」ということでしょう。

8月末、残暑が厳しい中、車を走らせてたどり着いたお墓は、お盆にお供えされたのであろうお花を残し、その他のお墓とともに厳しい日差しの中でひっそりと佇んでいました。

父方のお墓には私が会ったこともない祖父母が眠り、母方のお墓にはかろうじて記憶に残る祖父母が眠っています。

枯れてしまったお花を抜いて新しい花をお供えする。

「爺さん婆さん、今年も来ましたよ。そっちの世界では、自分たちの子である私の両親とちゃんと会えましたか?」

・・・手を合わせながらそんなことを心の中で話しかけてみました。

僧侶として、檀家様のお墓でお勤めする時はこんなことを考えることは無いのですが、一私人であるこの時だけは色々なことを話しかけてみます。

不思議なもので、その時だけはお墓の周りに祖父母が現れて、私の独り言を聞いてくれているような気持になります。

冷たい石でしかないお墓が、その時だけは何故か暖かく感じられるのも不思議です。

お盆が過ぎ、誰もいなくなったお墓に一人佇んで心の中で話しかけてみます。

しばし瞑目の後、「ではまた来年!お盆が明けたら会いに来ます。」

大阪と長浜、それほど遠い距離ではないものの、お墓参りとなるとなかなか行き辛い距離。七夕ならぬ、年に一度のお墓参りは私にとって両親がまだ幼かった昔に会える大切な行事なのです。

地蔵盆が終わりました

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今年もお盆が終わりました

以前にも申し上げたように 私のお寺では地蔵盆は静かにお勤めをいたします

お参りに来られる方は その年に初盆を迎えられたお家の方がパラパラと来られるくらいで お勤めをしながら過ぎゆく夏をしみじみ感じられる法要です

兼務するお寺や 少し離れたところの自治会主催の地蔵盆にも寄せていただきましたが 普段なら賑やかな子供たちの声が聞こえるはずが こちらも昨年からはコロナの影響からか 随分と静かなお勤めとなってしまいました

さて今年も 私の村で何軒かの初盆のお家がありましたが 地蔵堂には切子灯篭が一対飾られました

各地でその風習は異なってくるとは思いますが 切子灯篭は初盆を迎えたお家の仏間に吊り下げられ いつものお盆以上に賑やかさが増します お浄土に往かれ 初めて帰ってこられるご先祖様を 賑やかにお迎えする一つの象徴のようなものですが 昨今の住宅事情からか切子灯篭を飾られるお家が少なくなってまいりました

その切子灯篭を地蔵盆にお寺に持ち寄って 地蔵堂を賑やかにお飾りするのです

一年に一度だけ地蔵堂が晴れやかに見える地蔵盆

それは大切な家族を亡くした方々が お浄土へと帰って行かれるご先祖様を静かに見送る大切なひと時でもあるのです

この風習は出来ることならずっと残していきたいものなのですが 果たしてこの先どうなっていくのでしょうか!?

お盆が過ぎ 一日が随分と短くなってきました まだ陽が昇る前や、夕暮れてからはカナカナカナ…と蜩の悲しそうな鳴き声が聞こえてきます

今年も無事に夏を越させていただきました

この先あと何回夏を過ごすことができるのか!?

仏様ならぬ身の知る由はありませんが 子供の頃からずっと感じてきた この時期のなんとも言えないノスタルジックでセンチメンタルな思いだけは大切にしていきたいものです

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